密航鮮人の歴史

日本で何がおこるのだろうかと思ったり・・・・。

アメリカが・・・

メモです。


http://meron.vanillapafe.info/archives/10115
密航鮮人の歴史

TBSは終わってる

北朝鮮放送か。

めぐみがやっているお昼の番組はひどいですね。

内容はトランプ叩きでしたけれども、CMに切り替わるときに全く関係のない北朝鮮の旗がはためいているワンショットを入れていました。

工作員へのメッセージか。


朝鮮人密入国の歴史



慰安婦像の次は、徴用工の像らしいですね。

これと連動しているのが、在日の人が良く言う、「自分たちは強制連行されてきたのだ」というかわいそうな身の上話。

この問題を考えるのに、朝鮮人の行き来の歴史を調べないといけないことがわかりました。



これが作り話なのはばれています。

それでもまだ妄想とでっち上げでしつこく言ってくる。

もうけりをつけなければいけないですね、子孫に禍根を残すことになります。



韓国併合以降の朝鮮人の日本への流入の状況、そして不正渡航がおこなわれていたのか。

Wiki・朝鮮人強制連行より


歴史
明治時代の朝鮮人渡航 1876年(明治9年)、日朝修好条規が結ばれ、朝鮮が開国すると1880年、金弘集らが第二次朝鮮通信使として来日、東京に朝鮮公使館が設置される。
その後、留学生や亡命者などが入国し始める(朴泳孝、金玉均、宋秉畯、李光洙など)。
また、韓国併合以前から南部に住む朝鮮人は日本に流入しはじめており、留学生や季節労働者として働く朝鮮人が日本に在留していた[12]。
韓国併合以降 「韓国併合」および「日本統治時代の朝鮮」を参照 1910年の韓国併合以降、渡航する朝鮮人は急増し、内務省警保局統計によれば1920年に約3万人、1930年には約30万人の朝鮮人が在留していた[12]。
併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などにおける下層労働者で[13]、単身者が多くを占める出稼ぎの形態をとっていたが、次第に家族を呼び寄せたり家庭を持つなどして、日本に生活の拠点を置き、永住化もしくは半永住化を志向する人々が増えた[12]。
河宗文によれば、「日本政府は朝鮮人の渡航を抑制したり受容したりしながら、朝鮮人労働者を日本資本の差別的構造の中に編入させて行った」とする[14][15]。
当時、日本での朝鮮人の生活は劣悪なもので川辺や湿地帯に集落を造り、賃金も日本人の約半分であったとされる[16]。然しながら当時の朝鮮人の朝鮮国内の賃金と比較すると破格の高収入だった。
朝鮮人の朴代議士によると1933年当時、年間約5万人の朝鮮人が日本で増加して問題になっていた。
[17] 移入制限と解除 1919年4月には朝鮮総督府警務総監令第三号「朝鮮人旅行取締ニ関スル件」により日本への移民が制限され、1925年10月にも渡航制限を実施したが、1928年には移民数が増加した。
朝鮮で1929年から続いた水害や干害によって、国外に移住を余儀なくさせられる者が増えた[18][19]。 1934年10月30日、岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定し、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発と密航の取り締まりを強化する[20]。



1910年の韓国併合以降、渡航する朝鮮人が急増したとなっています。

留学生や正規の手続きを踏んで日本にくるよりも、不正な手段で密航してくる朝鮮人が後を絶たなかった記録がありました。

京城日報1926年(大正15)4月17日、「七十四名の密航船 下関で発見」

京城日報1925年5月21日、「巧妙な鮮人の密航 当局も取り締まりに悩まさる」

京城日報1926年4月30日 「六十名の密航団 山口県の北海岸で発見」

釜山日報1929年(昭和4)1月31日「取締厳重の裏をかく犯罪 この頃だんだん殖えた渡航証明書の偽造」

釜山日報1929年5月4日 「命がけで対馬へ渡った密航鮮人百六十七名 内地の土を一寸踏んだまま博愛丸で積み戻さる」

↑なにこれ、わろた。

密航鮮人

そう密航鮮人が命がけで渡ってきてたんですよ。

それでこの密航鮮人はどうなったんですかね。

そして高市早苗議員が自分のホームページにあげている、外務省資料です。



2010年04月02日「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料

一部抜粋

1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。
実情は次のとおりである。

 1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。

 そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。
 しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
 
 元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。

 かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。


2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。

(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。
右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。


(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。

(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。

(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。 
 北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。


3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。
 そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。
 したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。

【在日朝鮮人の来住特別内訳表】
登録在日朝鮮人数 611,085人
《内訳》
(1) 所在不明のもの 13,898人
(1956年8月1日以降登録未切替)
(2) 居住地の明らかなもの 597,187人(100%)
・・・(2)の内訳・・・
(A) 終戦前からの在留者 388,359人(65・0%)
   うちわけ
(イ)1939年8月以前に来住したもの 107,996人(18・1%)

(ロ)1838年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人(5・8%)
(ハ)来住時不明のもの 72,036人(12・1%)
(ニ)終戦前の日本生れ 173,311人(29・0%)
(B) 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人(35・0%)

これによると日本に職を求めてやってきた人と、出生により増えたもの、自らの意思で渡航してきた人たちということです。

そして戦後は自由意志で帰れたし、残った人は自由意志で日本に残ったと。

強制連行されたーっていう話はこの資料を見ても嘘であることがわかります。



「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
「在日朝鮮人の半数は不法入国者で、大多数の朝鮮人は日本経済の復興に全く貢献せず、多くは法の常習的違反者で、共産主義者など政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいる」

この文書によると戦後に日本にいた在日朝鮮人の半数が不法入国者だということです。

終戦とともに140万人の朝鮮人が祖国に引き揚げています。

残留したのは65万人。

その半数は密航鮮人てことか。


朝鮮人の強制送還を心配する共産党議員



これは昭和25年の殖田国務大臣と共産党田中堯平の国会での答弁です。

– 衆 – 法務委員会 – 21号
昭和25年04月06日

田中(堯)委員 

それではさらに、これもごく最近先月の二十日だつたと記憶しますが、台東会館なる朝鮮人諸士の所有にかかるものが、強制的に団体等規正令に基いて接收されたのであります。

この接收の仕方については、多くの不審、疑問、異議があるのでありまするが、それは後日の問題といたしまして、この台東会館の接收以後、世間で盛んにうわさされていることがあるのであります。今日本政府は在日朝鮮人に対して非常に手きびしい態度に出ているが、近い将来に、十ぱ一からげに在日朝鮮人を本国へ強制送還する処置をとるのであろうという意味の記事が新聞にも出ておりまするし、また警察官がみずからこういうことを公言した事実も二つ、三つあるのであります。そこでお伺いしたいのは、一体今日本における朝鮮人は日本国民であるのか、外国人であるのかということと、それからこれを強制送還なさるつもりがあるのかどうか、この二点についてお伺いしたい。



殖田国務大臣 

朝鮮人の問題はなかなかむずかしい問題があるのでありまして、朝鮮人の国籍という問題がございます。朝鮮人は純粹な日本人として取扱われておらぬことむろんであります。

しかしながらさらばと申して、連合国人といえども中華国人のような、あるいはイギリス人とかアメリカ人とかいうような連合国人と同じ待遇で取扱われているかと申しますと、そうではないのであります。ただいまのところやや不確定な状態に置かれているのであります。これは朝鮮の方に対しても、また日本人にとつても、いろんな問題を生ずるゆえんであるのであります。これは講和條約によりまして、最後的な決定を見ることと思うのでありますが、ただいまのところ、日本政府だけでこれを最後的の決定をなすことができない状態に実はおるのであります。  

そこで強制送還の話でありまするが、この間から実は強制送還をするという話であるが、朝鮮の方でそういう話をしておる、そういう事実があるかどうか、事実ではないかというお話でありますが、朝鮮で何と申しておるか存じませんが、日本政府においては、朝鮮人をただちに強制送還をするという考えは少しもございません。大韓国からさような交渉を受けてもおりません。日本国は大韓国と直接取引をする権限はないのであります。

もしさような事柄を韓国政府が考えておるとするならば、それは総司令部の方へ交渉をされるべきであります。しかし総司令部を通しても、まだ何らそういう交渉を受けておりません。これは私は事実ではないと考えております。しかし実際は強制送還をしておるではないかというようなお話もあつたのでありまするけれども、ただいまのところ、外国人登録令というものに規定しておりまする條件に従つての送還はいたしております。それはずつといたしておりまするが、その以外の強制送還なるものを考えたこともなければ、したこともないのであります。今後もさようなことはないと考えております。



田中(堯)委員 

ごく最近大阪で、朝鮮人民共和国の国旗を掲げたために、二年半の獄中生活を大阪の刑務所で送つて、そうしてその刑期が終るや、安民殖ほか四名の人々が、ものものしい警戒のもとに、手錠をはめたまま貨物車に入れられて、本国へ強制的に送還されたという事実がありますが、これはいかなる法的根拠によつてやられたのでありますか。

殖田国務大臣 

それは私どもはちつとも存じないことでありますが、多分お話によりますと、それは占領軍の軍法会議の処置ではなかつたかと思います。われわれの方の問題ではないように考えます。

田中(堯)委員 

この間韓国大統領李承晩氏が日本にやつて来て、吉田首相とも面談をした向きが新聞に出ております。伝え聞くところによれば、そのときのいろいろな協議協定の中に、やはり在日朝鮮人がいろいろと秩序を乱し、あるいは革命勢力の中枢ともなりそうなおそれがあるので、これをひとつ韓国へ引取つてもらいたい、引取ろうというような協定が行われておるというようなうわさがもつぱら行われておるのでありまするが、そういう事実がございましようか。

殖田国務大臣 

その問題であります。私はその当時総理に伺つておりませんが、李承晩氏からさような話は何にもありません。

総理は李承晩氏と面会はしておりますけれども、これはこく儀礼的な面会でありまして、さような国交に関する問題などは一度も議したことはないそうでありまして、またさようなことを議する権限は、実は日本政府にはないのであります。

従つてこく儀礼的な話でありまして、それは外部からさようなことがあつたのではあるまいかと揣摩臆測をしておることのようであります。



———————◇———————

今の日本の状況と似ている戦後すぐの日本の様子がわかりますね。

朝鮮人民共和国の国旗を掲げた罪で刑務所に入っていた朝鮮人は、刑期が終わると同時に本国へ強制送還されています。

この胸のすくような措置は日本の政府が行ったわけではなく、GHQがやったようですね。

ちょっと長くなってしまいました。

このタイトルはまだ続きます。

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