共産党の都議選方針に見る

メモです。

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共産党の都議選方針に見る
古本屋通信   No 2554    2017年  05月11日


 共産党の都議選方針に見る「野党共闘」路線の最終的完全破産

 表題のテーマでは、私は既に以下の3本の記事を書いている。
① 3月15日「通信 No 2477 早々に崩壊した共産党の都議選・基本スタンス」 (拍手数 59個)
② 4月09日「通信 No 2513 これでも共産党は都議選で自公を主敵に選挙を戦うと言うのか」 (拍手数 43個)
③ 4月19日「通信 No 2528 東京都議会議員選挙。選挙にならない共産党」(拍手数 31個)

 付け加えることは基本的に無いのだが、本日の赤旗一面左半分に以下の見出しの記事が掲載されたので、最小限を書き加えることにした。

  都議選 2017 最大争点 豊洲新市場
 共産(移転中止) VS 自 公(移転推進) 

 私は記事本文は読んでいない。豊洲移転問題にも一義的関心はない。それよりあくまで選挙戦を共産 VS 自公に強引に設定する共産党と赤旗について、少し書き加えたい衝動に駆られた。

 いったい党の都議選方針を主導しているのは誰か、党中央委員会の志位ー小池か、それとも都委員会の若林義春か。私の結論を書いておく。志位や小池にはその能力も余裕も無い。確かに記者会見で都議選方針を喋ったのは小池書記局長だった。上記の③の私の記事中の長ったらしい演説は志位のものだ。しかし志位演説を少し丁寧に読めば、この委員長は都議選についてはとてもアバウトな認識しか持っていないと分るだろう。そう、党の都議選挙を取り仕切っているのは都委員会の若林なのだ。まあコレは本来都委員会の仕事だからコレでよい。

 ただ面白いのはコレまで党中央が一貫して呪文のように唱えてきた野党共闘が、都議会会派に則して言えば共産党、民進党、社民党、自由党の4会派の共闘が、跡かたちも無く霧散していることだ。そしてコレ何も東京都議会の変則的な会派の組み合わせのせいばかりではない。これは、都知事選挙時までまがりなりにも知事選を4野党共闘の鳥越を担いだ経緯からしても、その後に破綻・霧散したのである。

 くどくて申し訳ないが、もう一度だけ春名直章に登場してもらう。彼によると、野党共闘には3段階あってホップ、ステップ、ジャンプが、それぞれ参院選、都知事選、衆院選だそうな、そして都知事選は野党共闘が成立したのだから、選挙には負けたけれど、野党共闘の側面からは成功したそうである。それを衆院選に繋いだのだそうだ。まあ目出度いカルト思考だが、その野党共闘成功の結果が今日の都議会各党の姿である。今日の赤旗には民進党など何所にもいないネ。でも今日の赤旗の見出しは本来は以下でなければならぬ。

 共産 民進 社民 自由  VS 自 公 維新 

 私の以上の文は分りにくいだろう。もっと率直に書こう。都議選の党方針が正しいか間違っているかはここでは問わない。ただハッキリしている事がある。党中央・志位ー小池執行部の「野党共闘」路線にハッキリとNOを突きつけたのは党東京都委員会・若林義春である。それを若林は都議選方針の実際を明示するかたちで志位ー小池に突きつけた。

 最後に若林についての私の見方を書いておこう。26回大会だったか、常幹を降ろされ、27回大会でも復帰がならなかった絶不人気の党官僚だが、私は悪口を書いたことはない。多くは云うまい。志位や小池よりははるかに有能である。すでに十数年前から次期委員長候補だと言われていた。その目は消えたかに見えた。私が再起の可能性を確認したのは27回大会の志位報告のとき議長席に見た若林の勇姿であった。石井ひとみさんは引退を前に清々しい議長であった。いっぽう若林はふてぶてしいまでに不機嫌な議長だった。このとき私は彼の再起を想った。直接か、それとも院政か。若林、坂井希、宮本徹は東大教育学部卒である。私は通俗学歴のことを言いたいのではない。東京大学教育学部はまさに党にふさわしいアカデミズムであり、たちどころに党に親和する研究者数名を挙げる事が可能である(宮原誠一、五十嵐顕他。川上徹の伝統は生きている。下記に参考記事)。

 僭越ながら私は15年まえ宮原誠一元東大教授の大量の蔵書を入手した。遺族から私が買ったのではないから守秘義務はない。岡山県北の家の倒壊の荷受け業者から買った一級品であった。いまも売れずに棚に残っている。私の宝である。


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   別件

 吉良よし子が明後日岡山市の労働福祉事業会館5階ホールに11時から来るけど、古本屋通信は行きませんから、岡山県委員会と岡山地区委員会の人は安心してください。別に用事があるわけではありませんが、そこまでミーハーではないです。坂井希さんか大山奈々子さんだったら行きますけどね。

 それから、もうランキングは見ないと書いていたのですが、怖いもの見たさにコッソリ覗いてみたら何んと2日連続で店長ブログの順位が第1位でした。2日連続トップというのははじめてです。一週間休んだのがかえって良かったみたいです。

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  参考


 地の塩になれればと

 東大教育学の思想と実践-宮原誠一から五十嵐顕と川上徹へ-(草稿)  2016/09/25

 作成日時 : 2016/09/25 01:18 >>
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 承前

 (三)師弟かつ共闘する戦友

 川上さんは安保闘争が展開した一九六〇年に東大に入学し、教育学部に進む中で、学生運動で大きな役割を発揮し、安保闘争の過程で解体した全学連を六四年に再建し、委員長となった。六六年に教育学部を卒業し、全学連委員長を退任するが、日本民主青年同盟(民青)本部に勤務し(専従)、また中央常任委員になり、東大闘争や大学改革に取り組んだ。五十嵐先生は教育学部の助教授で、六八年から教授となった。
 二人は師弟であるとともに共闘する戦友のような関係性にあった。川上さんは、東大闘争が激化した時期は五十嵐先生の研究室が「作戦本部のようだったよ」と語った。「司令室」とも表現し、自分は「現場指揮官」と説明した。戦中、最優秀の将校と評された五十嵐先生は思う存分、闘い方を川上さんに教え、鍛えたと言える。
 先述したように川上さんは自分を「不肖の教え子」と言うが、私は、闘う生き方(思想と実践)において一番弟子であったと捉える。一例を挙げれば、五十嵐先生は「実意」を重んじており、川上さんもそうであった(『平和教育の思想と実践』第六章第三節第二項等も参照)。川上さんは、右や左などではなく「何より人間だよ」と語ったこともあった。私はそこに「実意」を重んじる生き方を認識する。

 (四)『査問』と『アイデンティティと時代』-列伝と外伝-

 己は如何に生きるべきかという探究は、時代の政治、権力、イデオロギーに対しては、アイデンティティのための闘いとなる。
 共産党は体制に対しては反権力だが、自らが権力を握ると一党独裁体制(プロレタリア独裁)を敷く。党内の組織原則たる民主集中制は、これを踏まえて考えねばならない。「民主」を冠しているが「集中」が決定的であり、それが鮮明に現れたのが「査問」である。確かに党員であれば党の決定や上級機関の指示に従うべきだが、弁明や反論が保障されてこそ「民主」的である。しかし、それがないか、形式的なのである(結論は「査問」の前に既に決められている)。
 私が川上さんと初めて遭ったのは、『希望への扉-心に刻み伝えるアウシュヴィッツ-』(同時代社、二〇〇四年)の出版のために、塚田一敏*1さんとともに同時代社を訪れた時であった。出版の話はスムースに進み、一段落した後、川上さんは五十嵐先生について尋ねた。私は研究室に所属はしなかったが、授業に出たことがあり、論文や著書はいくつも読んで大いに学んだと応えると、遺稿やノートがあり、取り組むことを勧めてくれた。宮原~五十嵐の関連について、前々から注視していたので、是非やりたいと応え、同時代社の書庫に案内され、ざっとノートや遺稿を見渡し、まず遺稿「教育費と社会」を読むことにした。
 数日後、『五十嵐顕追悼集』(同時代社、一九九六年)や関連資料とともに文庫版『査問』*2が送られてきた。何の説明も付いておらず、当時、私は全く予備知識がなく、何だろうと思いながら頁をめくった。川上さんを紹介した塚田さんはこの点について何も話さなかった。
 読み進めていくうちに重大な内容であることが分かった。しかも私自身に関わることに気づいた*3。それ以前から、私はセツルメント、民青、共産党と進み、「査問」、「離脱」に至った青年時代について向き合うようになりつつあった。その一端は『アイデンティティと戦争』(グリーンピース出版会、二〇〇二年)の「はじめに」で述べたが、極めてわずかでぼやかしていた。だが『査問』に勇気づけられ、まずセツルメントについて語れるようになり、さらに民青~「離脱」まで書き、『アイデンティティと時代』として上梓することができた。川上さんは、『アイデンティティと時代』出版後に初めて会った時、「一つ区切りをつけたね」と言ってくれた。
 塚田さんは、小生を「川上君の一番弟子」と評する。それは、特に川上氏が託された五十嵐顕東大名誉教授の貴重な遺稿を生かして学位論文を書きあげ、『平和教育の思想と実践』として出版したからだという。恐縮だが、光栄でもあり、その責任を自覚する。
 とは言え、全学連再建で中心的な役割を果たし、初代委員長となり、東大闘争では「現場指揮官」として全共闘・新左翼のゲバルト=暴力革命路線に対して平和革命路線で闘ったことに比べると、私こそ「不肖」の「一番弟子」と思わざるを得ない。
 それでも、『査問』~『アイデンティティと時代』に込められたプロブレマティク(問題意識・提起)をさらに追究する責任・使命は意識している。
 それは「新日和見主義批判」の本質を剔抉し清算することである。暴力革命、プロレタリア独裁、民主集中制と権力の関連の根幹にも関わる。これまで宮本顕治に関しては「記憶の風化と歴史認識に関する心理歴史的研究-抵抗と転向の転倒-」の中の「『非転向』の神話化の問題-宮本顕治に関連させて-」(『社会教育学研究』第一二号、二〇〇七年四月)で考察した。それは博士論文執筆の過程で除外した論考を発展させたものである。ただし、これは負の消極的な側面であり、正の積極的な側面で川上さんの「一番弟子」としての課題を達成したい。
 五十嵐~川上を東大教育学の思想と実践として研究するのは、そのためである。

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  宮原誠一  ウィキペディア

宮原 誠一(みやはら せいいち、1909年8月26日 - 1978年9月26日)は、日本の教育学者。東京大学名誉教授。専攻は社会教育学。

人物[編集]
東京生まれ。東京帝国大学文学部教育学科卒業後、新興教育研究所、教育科学研究会で活動ののち、1940年法政大学講師。戦後は文部省社会教育局勤務などを経て、1953年東京大学教育学部教授。1957年『教育学事典』の編纂で毎日出版文化賞受賞。1971年定年退官。東大教育学部の草創期を支えた人物の一人で、教育学の勝田守一、教育行政学の宗像誠也と共に、「3M(スリー・エム)」と並び称される。

戦前は教育科学運動を推進した。戦後の教科研再建運動にも携わる。教育の社会的規定性を重視し、「教育的価値」の存在を認める勝田守一と論争した(勝田・宮原論争)。青年教育論の分野にも先駆的な業績がある。

戦争責任隠蔽問題[編集]
矢川徳光、梅根悟ら、戦前・戦中期に活躍した教育学者には、戦後、戦時中の戦争協力を煽った論文や文書や業績を省略・削除・隠蔽する者がいたが、宮原は、国土社から『宮原誠一教育論集』(全7巻)が刊行されているが、戦前における論考のいくつかは、宮原自身によって削除されている。また、略歴や業績などでも、当時の戦争協力を煽った論文や文書を省略、つまり隠蔽している[1][2][3]。

長浜功元東京学芸大学教授は、宮原を次のようにきびしく批判している。

宮原は戦時下のことについてひとことも触れずじまいだった。戦時下のことを若い世代が口にすると、とたんに機嫌が悪くなったという — 『教育の戦争責任』明石書店、1984年

また、「進歩的文化人」が戦時中は「戦争は人類進歩の原動力」と極言して体制迎合し、戦後になると平和主義者・民主主義者に豹変したという暴露本『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には宮原について、つぎの副題が付けられている。

宮原誠一(東京大学教授)武士道教育論から日教組お抱え講師 — 『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』全貌社、昭和32年

著書[編集]
文化政策論稿 新経済社 1943年
教育と社会 金子書房 1949年
教師論 1950年 要選書
北の子南の子 牧書店 1954年 (学校図書館文庫)
家庭と学校 岩波書店 1954年 (岩波婦人叢書)
教育学ノート 1956年 (河出新書)
青年期教育の創造 国土社 1962年
教育史 東洋経済新報社 1963年 (日本現代史大系)
青年期の教育 1966年 (岩波新書)
PTA入門 国土社 1967年 (ホームライブラリー)、1990年に現代教育101選シリーズの8巻として再刊
宮原誠一教育論集 全7巻 国土社 1976-1977年
夕陽 宮原誠一遺稿 宮原喜美子 1980年9月

共編著[編集]
社会教育 教育の社会計画をどうたてるか 光文堂 1950年
日本のPTA 宮原喜美子共著 国土社 1951年
小学生の母のしおり 上飯坂好実共著 東洋経済新報社 1953年 (家庭文庫)
みどりの世代 女子高校生の心理 立花三郎共編 国土社 1955年
未来の教師 教育系大学学生の手記 牧書店 1955年
職業 有斐閣 1956年 (らいぶらりい・しりいず)
生産教育 1956目年 国土社教育全書
子どもの才能を伸ばす父親の条件母親の条件 乾孝共著 知性社 1958年
青年の学習 勤労青年教育の基礎的研究 国土社 1960年
小学一~六年生の学級改造 周郷博、宮坂哲文共編 国土社 1961年 (学級経営シリーズ)
中学一~三年生の学級改造 周郷博、宮坂哲文共編 国土社 1962年 (学級経営シリーズ)
すばらしい家庭教育 親と子のふれあいのために 太平出版社 1968年
生涯学習 東洋経済新報社 1974

翻訳[編集]
科学の時間 クレイグ、ヒル 共訳 時事通信社 1950年 (科学の世界)
科学のくにへ クレイグ・ハーレー 時事通信社 1950年8月 (科学の世界)
学校と社会 ジョン・デュウイー 春秋社 1952年 のち岩波文庫
科学のくふう クレイグ、ハイド 時事通信社 1952年
発明ものがたり 人間は奇蹟をつくる ヴァン・ルーン 法政大学出版局 1955年

脚注[編集]
1.^ 長浜功『教育の戦争責任』明石書店、1984年、180・230ページ
2.^ 小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』新曜社、2002年、386ページ
3.^ 竹内洋「革新幻想の戦後史」『諸君!』2008年9月号、231ページ

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