で、日本はどうするの?

メモです。

http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2884.html
で、日本はどうするの?
古本屋通信   No 2538    2017年  04月24日


 で、先方は下の赤字のように言っているんだけど、日本はどうすればよいの?

 まあアメ帝さんに挑発を中止して戴くしか手がないんだけれど、日本はどうするの? 切羽詰まっているんですけど? 安保を破棄するのは間に合いませんね。

 私が共和国の立場を理解こそすれ、支持できないのは、沖縄と岩国の米軍基地に核爆弾をぶち込まれたら困るからです。やめて貰わねばなりません。

 こういう時こそ日本共産党の野党外交力が試されるンですが、まあ何も出来ませんね。中国はアメリカに冷静になってと頼んでいます。ちょっと卑屈ですね。日本政府こそ共和国に平身低頭、土下座して頼みましょう。どうか日本の米軍基地だけは攻撃しないでと頼みましょう。一両日中に沖縄の基地を使えなくすると約束しますから、と。

 沖縄県知事のオナガさんは先頭にたって共和国にお願いしましょうよ。沖縄の全軍労はゼネストを打って基地機能を麻痺させましょう。沖縄の革マル派と中核派はゼネストに協力しますね。

 私がこのエントリーをわざわざ何故立てたかというと、直前の革共同両派の見解に違和感があったからです。

 世界同時革命なんて空想でしょうが? 金正恩政権の反撃をどうやって阻止するの? 日本が悪いのだから、けっきょくお願いするしかありませんね。「核戦争を阻止する」 って、勇ましいけど、こういうことでしょう。何もアチラの金正恩政権とたたかうプロセス(余地)は有ません。まあ、あとは読者の判断に委ねたい。


北朝鮮 軍創設記念日を前に中央報告大会
4月24日 19時26分  NHK
北朝鮮は、25日に朝鮮人民軍の創設から85年となる節目を迎えるのを前に、首都ピョンヤンで記念の中央報告大会を開き、「ア
メリカと追従勢力を粉砕する、わが軍の超精密化された威力ある攻撃手段は、すでに実戦配備されている」などと威嚇し、アメリカとの対決姿勢を強調しました。

北朝鮮では25日が朝鮮人民軍の創設から85年の節目で、これを前にピョンヤンでは24日、記念の中央報告大会が開かれました。

大会の様子は日本時間午後6時半から国営の朝鮮中央テレビが放送し、軍の最高司令官であるキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長の姿は確認できませんでしたが、パク・ヨンシク人民武力相が演説を行いました。

演説では、2代にわたって北朝鮮の国防力の強化に尽力したとして、キム・イルソン(金日成)主席とキム・ジョンイル(金正日)総書記をたたえました。
そして、キム委員長の下での団結を呼びかけたうえで、「アメリカと追従勢力を粉砕する、わが軍の超精密化された威力ある攻撃手段は、すでに実戦配備されている。アジア太平洋地域のアメリカの基地とアメリカ本土を狙うわれわれの核攻撃手段は、発射待機の状態にある」と威嚇し、アメリカのトランプ政権を強くけん制しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4月25日の赤旗の見出しは
「軍事的選択肢」評価は危険
だって。危険なんて悠長なことを言ってる場合じゃあないでしょう。沖縄の基地にミサイルを落とされますよ。ここは何とか志位委員長に北京経由でピョンヤンに行って直談判してもらわなければなりません。宮本だったら行ったでしょう。志位さんも手ぶらで行ってもダメです。党沖縄県委員会が米軍基地の前に立ち塞がって抗議行動をしなくちゃあ。


http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2886.html
古本屋が手に入れた宝物
古本屋通信   No 2540    2017年  04月26日


 つれあいはB型肝炎関係で朝から東京の国会へ出掛けて行った。今回は共産党の高橋千鶴子さんが各党の世話役代表らしい。私は小雨の中、往復50キロ田舎に行っていま帰ってきた。ほんのわずかな非日常が幾分たりとも頭の切り替えを促す。

 ここ1ヶ月を顧て、自分自身が共産党・赤旗の出鱈目というより近視眼的狭さに取り込まれていると思う。先日の赤坂てる子さんらのスポット演説からして、誰ひとり聞いていないのだ。ウルサイという以上に何の反応もない。同じ日に岡山県委員会は相当数の宣伝部隊を繰り出したらしい。無力を感じないのだろうか。党が自分から外部との通路を遮断している。野党共闘だとか、核不拡散だとか、寝言をいっているうちに、核戦争の危機が迫る。党など何にも役に立たない。屁でさえもない。こういう党と連日付き合っていると、自分が阿呆になる。少し古本商売のことを書く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昨年9月に元小学校女性教員の家の古本の整理に行って、「通信 No 2152 宅買い本(元小学校女性教師)のメモ」 を書いた。その続きを書きたい。その前に小学校教員が古本屋にとってどういう存在なのか、正直に書いておこう。

 中学校の教員もだが、小学校教員ほど勉強しない種族はいない。他人の前に自分の家族だが、私の父母は全く本を読まなかった。それでも父は定年退職後は自己満足の読書を少しした。現役時には読書は皆無であった。私のつれあいも22歳から60歳まで小学校の教諭だったが、本など読んだのを見たことがない(そのくせテレビを実によく観る)。そもそも本をマトモに読む女が 『女性のひろば』 など読むわけがない。赤旗日曜版からして横着者の新聞なのだ。その日曜版さえも購読者の大半は読まないで捨てるらしい。つまり 『女性のひろば』 も赤旗日曜版も、最初から受身の読者を想定している。少し言い過ぎかも知れないが、読めば読むだけ思考力が衰えて阿呆になる。


 コレは小中高教員とも言えるが、教頭・校長になった教員はまずダメである。救いがない。つれあいはならなかっただけマシである。昭和43年に同年卒業者の香川大学教育学部岡山県人会が発足した。15人中13人が小中教諭だった。その13人中11人(女2人以外)が教頭を経て校長になった。話すことがなくなり会は解散した。つまり校長の自慢話しか話題がなくなった。

 私が知る限り、岡山市でマトモな校長は、かつて桑田中学校長だった水内先生ただ一人である。小中高合せてだ。マトモな教員がいないという事ではない。マトモな教員は教頭・校長にならない。これは共産党員の教員でも同じである。党は党員の教員が管理職になる事を禁止していない。なる者もいる。ならない者もいる。しかしなった者はほぼ全滅である。党を離れていく。これは私のような理論的党批判ではない。保身つまり転向である。そうなると気まずいのか口を利かなくなるらしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上記の元小学校女性教員Kさんの党関係の最終は知らない。もう80歳を超えている。坪井あき子さんと同年齢である。

 Kさんの前に坪井さんのこと。何回か書いている。敬意を表する書き手である。器用貧乏かもしれないが、何でもこなす。だが決してよい教員ではなかった。坪井さんにとって教員職場はメシのタネ以上ではなかった。たぶん教育の本など一冊も読んでいないだろう。しかしそれでいて、蔵書数は並みの教員とは桁外れだろう。文学と社会である。私にとって坪井さんは腰かけ教員だった故に魅力がある。

 元小学校女性教員Kさんのことは、つれあいに少し聞いていたが、大半は買い取った書籍から得た知識である。非常に魅力的教員である。こんなに勉強していて、且つ魅力的な教員は初めてである。彼女は短期で離婚して以後ずっと単身だった。子供はいない。きっと男が付いて行けなかったのだろう。

 Kさんはずっと小学校教諭である。大学は京都教育大(当時は京都学芸大)中学校課程美術専攻である。私のつれあいは香川大だが、他はKさんと同じである。一回りKさんが年長だが、岡山の平和美術会草創期の中心だったという。そういう理論家として一家を成したらしい。中途は省略するが、つれあいは脱落組だった。あまり鋭くて付いて行けなかったという。

 Kさんの小学校教員時代のアレコレは分からない。分からないけれど、恐らく職場では浮き上がっていた。私が買い受けた古本は逸品だった。よく読んでいた。アレで職場でうまくやっていけるわけがない。

 私の店の常連で、ひとりだけ私と同年輩の小学校教員がいた。左翼民学同で、よく本を読み、相当数の蔵書を持っていた。私は民学同の活動家で教員になった者を何人か知っている。だが殆んどダメである。民青・共産党以上にダメである。最低限、教頭・校長になってはダメである。私の店の常連はもちろん管理職にならなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 Kさんから買取った私の宝物を一冊のアルバムに収納。

  (2016年9月14日) 

① 宮本顕治パンフレット(最初に参院選に出た時のもの)

② 『美術運動』誌上の「リアリズム座談会」

③ 各種雑誌 表紙きりとり

④ 高梁高校 校内風景写真

⑤ 詩誌 切り抜き 詩人たち

その他、安藤昇スクラップ写真  本人撮影の学校写真 計380枚


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   再録


   古本屋通信      No 2152  9月17日

   宅買い本(元小学校女性教師)のメモ

 3日休んだら体調は何とか回復した。女性教師宅から買った左翼関係を何冊か抽出してメモしておく。ただし古本的に面白いからではない。自分が持っていないか、持っていても記憶が薄れているので、自分用にメモしておくのだ。だから形式を無視したメモランダムになる。興味があれば御覧ください。


矢木明詩集 1971年  これは持っていたが売ってしまっていた。戦後まもなくの詩から載っている。解説は岸本徹。矢木は2年まえに施設に入所、今は消息が判らない。元祖岡山の国鉄詩人。元岡山市議(日本共産党)。

詩集 石の叫び 有事立法・元号法制化に反対する 岡山詩人会議・編集発行  1979年 序にかえて(石津良介) 永瀬清子 間野捷魯 山本遺太郎 道満誠 沖長ルミ子 坪井宗康他


夢をたぐり寄せながら 車イス三十五年のわだちの跡 浜野博 1995年 何冊かのうち一番うすい本。旭川荘を年齢制限で出所して介護施設に入ったが、その後の消息は不明。ただパソコンの頁を放置したままで去ったのは意識的であった。私には浜野の勝手人生の象徴のように思える。感心しない。


道標 3号 岡山詩人会議 常連たち 1978年


まがね 第2号 日本民主主義文学同盟岡山支部 1978年


日本プロレタリア美術史 岡本唐貴・松山文雄・編著 造形社刊 1967年 唯一古書価が付いている。私も学生時代に読み、我が家にもあったが、今は消えていた。ラッキーだった。岡本唐貴は白土三平の父親で岡山倉敷だったと記憶する。


空想から科学への社会主義の発展 フリードリッヒ・エンゲルス 加藤正・訳と解説 季節社刊 1972年 大月版と岩波版の上に加藤の本を持っておられた。私は哲学科だったから一応揃えていたが、ふつうは3点の異同までやらんよ。マイッタ。


今井正・監督作品 小林多喜二 シナリオ・勝山俊介 手塚英孝「小林多喜二」より 1973年 私はどうしても勝山俊介(西沢舜一)が好きになれない。今井正の商売人根性も好きになれない。手塚の多喜二本は確定稿だ。これを見る度にプロレタリア作家が気の毒になる。プロレタリア作家とは多喜二のことではなく手塚のこと。「落ち葉をまく庭」にまさる戦後象徴天皇批判を私は知らない。江口渙、手塚、蔵原、宮本のプロ文の伝統を途方もなく汚したのが西沢舜一だったろう。多喜二もまた救われない。


「八鹿高校事件」現地調査報告書 岡山県民主教育協議会 1975年7月 解説は要るまい。解放同盟の暴力事件の頂点になった事件だ。裁判でも解放同盟丸尾一派は完敗した。岡山からはいち早く調査団が現地に跳んだ。その氏名と学校名が巻末に付されているので転記しておく。ただし年月が経過しているから姓だけにしておこう。ここまで野蛮な暴力の限りを尽くせば弁護の余地はない。この事件以後、解放同盟は凋落の一途を辿ることになる。
赤座(林野高)、有森(岡山南高)、大塚(清輝小)、大森(矢掛高)、丘(倉敷南中)、小幡(磐梨中)、勝浦(福渡高)、越尾(誠道小)、小松(馬屋上小)、佐藤(高松農高)、佐藤(岡北中)、高田(岡北中)、土師(足守中)、服部(西大寺高)、広岡(岡山南高)、藤沢(田原高)、三垣(総社東小)、水内(桑田中)、宮宗(有漢中)、吉田(国分寺中)、吉永(瀬戸高)。


私の歩みから 宮本顕治 64頁横長パンフ 1977年 日本共産党中央委員会出版部 たぶん選挙用パンフ よくできているから、いずれ印字するつもりだ。


革命と文化運動 蔵原惟人著 新日本出版社 1966年第2版


八鹿の夜明け 土井大助 日本共産党中央委員会出版局 私は土井の書いたものは一貫して好きになれない。作家で詩人なのだろう。ならば何ゆえ党の出版局なのか? こういう一事が万事なのだ。少なくとも作品としてのルポなのだろう。ならば党見解と区別しないと表現としての文学の自立性は失われる。この際付け加えておくが、作家の吉開那津子が土井を友人と呼んだことにも違和感を覚えた。だれとだれが友人であっても構わないものの、時と場所によっては党派性の表現となろう。因みに吉開には八鹿高校事件を描いた長編『希望』がある。
 

社会のしくみ 歴史のすじみち 日本民主青年同盟中央委員会 1963年初版 1966年第22版 懐かしい民青の基本文献中の基本文献である。史的唯物論のイロハだが、暗記するほど勉強した。民青の絶頂期だから版に版を重ねている。いま読んでみてもまったく正しい。「空想から科学へ」の日本版とも言える名著だろう。


明日の岡山への提言 則武真一編 1976年初版 これは則武の編集になっているが、当時国会議員だった則武に託すかたちで、共産党の県委員会だけでなく、岡山県下の民主勢力が政策提言した集成である。とうじ私教連の活動家だったK先生なども会議を持って政策を練り上げたそうだ。自分たちの作った本だから絶賛していた。各分野にわたって網羅している。力作である。党の岡山県議団はこれからも学ぶべきであろう。


和して同ぜず 遺稿・追悼集 副島種典先生を偲んで 一人の社会主義経済学者の人と人生 其の刊行委員会 1991年 表題どおりの本だが、計80人の知己が文を寄せている。追悼文集というのは葬式に準じるらしく、この時ばかりは反党分子も構わないらしい。党を除名された元岡山市議の河合徹も名文を寄せている。


日本美術会機関誌 美術運動 (以下は号数と発行年月)
71(1965・2) 75(1966・2) 76(1966・5) 77(1966・11) 
78(1967・2) 79(1967・7) 80(1967・10) 81(1968・2) 
82(1968・7) 83(1968・11) 84(1969・2) 85(1969・7) 
86(1969・11) 87(1970・2) 88(1970・8) 89(1971・4) 
90(1971・8) 91(1972・2) 95(1973・2)  96(1973・8)
以下版型がB5からA5の小型に、組版も横2段組から縦3段組に変更
98(1974・4) 99(1974・12) 100(1975・6) 101(1975・12) 
102・103 合併号(1976・7) 104(1977・2) 105(1977・8) 
106(1977・12) 107(1978・2) 109(1979・3)

テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

  1. 時事砲弾
  2. TB(0)
  3. CM(0)
<<歴史と、知性と本能は、今、斬首作戦を促している | ホーム | 面白い文のその後は・・・・>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tdollsss.blog7.fc2.com/tb.php/4301-112eaa2b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)