お坊さん便

Amazonの「お坊さん便」について多くの人が誤解していること。賛成派と反対派のお坊さんがいるのはなぜ?
イオンが5年前に葬儀社紹介業
Amazonの「お坊さん便」
二極化するお坊さんの懐事情

以前、聞いた話が現実になっているのかもしれない。
さて、どうなっているやら・・・・・

メモです

https://nikkan-spa.jp/1089736
Amazonの「お坊さん便」について多くの人が誤解していること。賛成派と反対派のお坊さんがいるのはなぜ?

2016.04.17 雑学

 意外と知らない通夜やお葬式でのマナー、業界の裏事情を綴った今、注目のサイト「考える葬儀屋さんのブログ」。「ライブドアブログOF THE YEAR 2015」にも選ばれた同サイトの管理人・考える葬儀屋さんに聞いた、恥をかかない今のうちに知っておきたいお葬式の常識とは――。

「お坊さん便」について多くの人が誤解していること

 葬儀屋さんブロガーの「考える葬儀屋さん」と申します。

「お坊さん便 法事法要手配チケット」(※画像はアマゾンより)

「お坊さん便 法事法要手配チケット」(※画像はアマゾンより)
 昨今、ネット通販大手「アマゾン」がお坊さんの手配サービスを始め、話題になりました。さらにそれに対し、全国の寺院が加盟する公益財団法人「全日本仏教会」が抗議したことでより一層世間の注目を集める結果となっています。

 今回の件はネット上で葬儀社を紹介していた「株式会社みんれび」が、数年前からお坊さんの紹介も始め、それを今回、アマゾンでも始めたということが発端です。

 それが物珍しさから、マスコミでセンセーショナルに扱われることになりました。しかし、多くの方が誤解していますが、このアマゾンのサービスを使って、お通夜やお葬式にお坊さんを呼ぶことはできません。なぜなら、手続きに時間がかかるので、緊急性のあるお通夜やお葬式には間に合わず、お葬式が終わった後で行われる法事での読経にしか対応していないのです。

 また、その法事のお布施(お坊さんに渡す御礼)の料金も3万5000円~と、特別安くはなく、むしろお布施の相場の安い地方在住者にとっては割高と感じるくらいです。そのため、このサービスを提供する会社もアマゾンで儲けるつもりはさらさらさなく、そこそこ話題になって、本体の受注がふえればいいなくらいの読みだったのではないでしょうか。

騒動を拡大させた日本仏教会の致命的ミス

 そのため、日本仏教会はこの話題をスルーして、風化するのを待てば良かったのです。しかし、あわてて抗議するという戦略ミスを犯しました。さらに、抗議を紹介会社ではなく、アマゾンに対して行うという間違いを犯しました。

 そんな抗議にあのアマゾンが屈するはずないというのは、一般消費者なら感覚的に分かるはずですが、全日本仏教会には分からなかったのです。実は全日本仏教会は、イオンが5年前に葬儀社紹介業を始めた際、同社サイトにお布施の金額を掲載することを止めさせることに成功したという”実績”がありました。そのため、今回も同じようにやれると踏んだのでしょう。

 ここで、そもそもアマゾンで紹介されるお坊さんも、アマゾンに反対する全日本仏教会も、同じお坊さんなのになぜやっていることがなぜ真逆なのか、と不思議に思う方もいるかもしれません。

二極化するお坊さんの懐事情

 この背景には貧しいお坊さんと富めるお坊さんの二種類のお坊さんがいることが挙げられます。

アマゾンのお坊さん手配サービス アマゾンのお坊さん手配サービスに登録するのは貧しいお坊さん。その一方で、手配サービスに反対する全日本仏教会は富めるお坊さんです。全国的な傾向として、お坊さんは飽和状態にあります。日本全国にコンビニエンスストアは5万3千店ほどなのに、文化庁の統計上登録されている寺院は7万軒以上あります。特に過疎化が進む地方を中心に檀家が減少し、寺を維持できないお坊さんが増えているのです。そのため、少しでも収入を得よう思ったお坊さんは、ネットからの紹介を受けざるを得ないのです。

 全日本仏教会はお経や戒名は商品ではないから値段をつけてはいけないと主張します。しかし、お布施などと同じく戒名にも相場がある以上、この言い分に素直に納得できる消費者は少数でしょう。

 ただ、今回の騒動を経験しても、日本仏教会がこれまでの姿勢を崩すことはないと思われます。なぜなら、富めるお坊さんは今後も長期にわたり安定的な収入を見込めるからです。たとえば、お布施が高額で払えないからと遺族がお墓のあるお寺との関係を断ち切ろうと考えたとします。

 それを実行に移すとなると、菩提寺と檀家の関係を解消し、現在の墓を更地にしてお寺に返して、先祖のお骨を収める別の墓を新たに探さなければいけません。そのお墓が先祖代々続いているなら、かなりの時間と手間とお金がかかるため、よほど思い切った決心が必要でしょう。

 ある意味、檀家は遺骨を人質に取られている状態のため、富めるお寺は強気の態度を崩す必要がなく、これまでの秩序を維持できるのです。

 このように、お坊さんの世界でも貧富の格差は年々広がっているのです。今日、お坊さんに対する社会の需給バランスが崩れてしまっている以上、私の予想ではこの20年で貧しいお坊さんの3分の1は失業せざるを得ないと考えています。

 現代においては、お坊さんも資本主義の労働者としての使命からは逃れることはできないのです。


http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/rakugaki/ofuse.htm
 普段は何も考えることのないお葬式ですが、いざお葬式をすることになって一番の悩みは、お葬式の費用が思ったより高いという悩みや苦情・不満があることです。

 悩みや不満・苦情の根本原因は何かということをご説明しましょう。

派手にすると高くつく
 結婚式と同じで、派手にすればす.るほど高くつくのです。
 祭壇の大きさ、お花の質と量、香典返しの品物の質と量、食事の質と量、お坊さんの数etc。ビデオを上映したり、生バンドの演奏をつけるなどは、制作費や出演料で一気に高くついていきます。

 参会者の数が多くなれば、それに応じた会場も必要になってきます。生前の交友関係が多いほど、必然的にそうなってきますね。橋本龍太郎さんの場合も、家族だけでのお葬式とは言っても、次々に訪れる弔問者には、何らかの対応が必要になりますから、大変だったろうと思います。

 葬儀社は許認可事業ではありませんから、そもそも相場というものがないのです。いかに付加価値をつけるかということによって企業利益が生まれるのですから、費用の上限はないということです。一般的には、ランクの選択は喪主にあるのです。

安くつくお葬式の方法
自宅で葬儀式(お別れ)をし、霊柩車(黒のワゴン車等)で斎場へ移動し火葬に付す場合。

死亡診断書を書いてもらう  5,000円程度
役所の戸籍係へ死亡届と埋火葬許可をもらう 無料
棺桶の購入 30,000円程度(上限なし)
斎場(火葬場)の申し込み  大人 20,000円(市内)
                          60,000円(市外)
【2006年現在:篠山市の場合】
骨壺  3,000円ほど
寝台車 20,000円程度以内
自分のワゴン車等を使用して運ぶ場合は死体運搬の許可を警察に申請する必要があると聞いたが、そんな例は経験していないので、その方法はわかりません。
家族の移動交通費 自家用車・バス・タクシー・マイクロバスチャーターにより異なる。
香典返しや食事は一切しないとする。
以上は無宗教でする場合で 総計 78,000円ほど

お坊さんのお布施
 そもそもお布施というのは文字通り「施し」でありますから、これに料金が定められていること自体不思議に思います。

 しかし、寺は葬儀や法事をするためにのみ存在するのではなく、仏法を広めていく拠点としての存在の方が第一義なのです。仏法を広めていくためには、僧侶の生活費や伝道費など、様々な経費が必要となります。

 葬儀や法事のお布施は、そうした経費を賄うためのサイドビジネスと考えた場合、そこそこの金額が要求されるのも致し方ないこととも考えます。

 寺の中には、サイドビジネスとして駐車場の経営、幼稚園・保育所の経営、塾の経営など、実はいろんなサイドビジネスをされている寺も多いのです。中には学校の教師をしたり、民間会社に勤めているお坊さんもいます。

 寺は「寺と檀家」という関係の中で維持されています。「檀家」というのは現代の言葉に直すと「スポンサー」ということです。言い換えれば、NPO法人を維持していくための「会員」と同じということです。

 檀家=信者ということではありません。そもそも檀家というのは信仰心があってスポンサーであるべきでしょうが、信仰心のある方々の信仰を深めていくためのスポンサーが檀家(ダーナ)ですから、=とは限らないわけです。昔は「檀那寺」という言い方をしました。つまり「私がスポンサーになっている寺」という意味で使いました。

 そう考えていくと、ことお葬式についてのみは、「講」であったり「互助会」であるということが言えます。寺が葬式を執行するのは、会員や信者の家族が亡くなられた場合に出向くということが本来の姿なのかもしれません。つまり、会員や信者でない方のお葬式は別の体系に属するのですねぇ。

 体系外の例は昔からありまして、諷経(ふぎん)という形をとりました。諷経僧は喪主の親戚などが自分の在所の寺のお坊さんを個人で頼んで葬儀に出てもらうのですから、そのお布施は依頼主が負担し、また特別の額がお布施として渡されたものです。

 諷経僧は親族の焼香に先立って、「○○氏の懇請により、○○寺住職、□△兵衛の葬儀に当たり一句葬送の辞を・・・・」と、自分を頼んだ者が誰であるかを披露し、弔辞のような言葉を述べて依頼者に代わって焼香をしたものです。

 つまり、葬儀へ坊さんが出てくるのは、何かの関係の中で出てくるのです。それは生前のおつきあいとか、親族が寺の檀家であるとかということですから、全く今まで関係を持たなかった方のお葬式に、お経の合唱団(あるいはソリスト)として雇われていくということ自体がおかしい状態なのです。

 それを敢えてという事であれば、当然お布施は会員外として扱われる事になります。日常的に会員(檀家)が寺(伝道の拠点)を維持しているのですから、一見(いちげん)さんにはそれ相応の要求が為されるのは当然かも知れません。

 寺は葬式をするためのみに存在するのではないということを認識していただければ、関係の中でお布施の額が変わってくるということが理解してもらえるのではないかと思うのです。

 ちなみに私が祖父から聞いていたのは、
    葬式のお布施は、大工さんの1ヶ月分の日当
    法事のお布施は、大工さんの1週間分の日当
が昔の相場だったということです。

 一生の間に2回ほどの事ですから、高いか安いかは人それぞれでしょうが、しかし、必ずそうだとは決まっていなくて、所帯の状況も十分斟酌されていたことも事実です。つまり0~∞ということです。

 普段から寺と親密な関係にあったり、熱心な檀家であった場合は、ざっくばらんにお坊さんと話せば、そんなに心配しなくて良いのです。

 うんと派手なお葬式をして、食事にばかり配慮していると、「お布施が少ない」と要求される場合もあるでしょうねぇ。要は全体のバランスであり、見栄を張れば張るほどお葬式は高くつくということです。

 真宗以外では役僧という言い方のお坊さんが葬儀に出られることが多くあると思います。繞鉢(にょはち)と言われる楽器(シンバル・ドラ・カネ)を儀式の中で鳴らされます。此は片鉢(かたはち)とか双鉢(もろはち)などと呼ばれ、要するにシングル編成かツイン編成かということです。

 片鉢の場合は、導師+3人 双鉢の場合は、導師+2×3人 というのが最低編成になるようです。お布施の総額は双鉢の方が当然高くなるわけです。実際のお葬式を見ていますと、繞鉢をつけずに導師一人で行われることもあります。

 お坊さんの数が少ないと貧相なお葬式で、お坊さんの数が多いと立派なお葬式という観念があるから、おかしな感情が湧いてくるのですねぇ。

「私の家は○○宗だった。葬儀社に手配を頼めば、坊さんは当然やってくるもの」という思い込みがそもそも間違っているのです。お坊さんが葬儀を行うのは、あくまで儀式としての宗教的な意味あいと、関係性にあるということです。

 葬式を坊さんに依頼はしたけれど、法名(戒名)は要らないといった方があったそうです。それでは仏式で葬儀をするということの意味はありません。葬式をしないと死骸を焼いてもらえないとでも思っているのでしょうか。とんでもないことです。

「坊さんの生活は自分で働いて確保してくれ。しかし、法事や葬式はわしらの言う日にしてくれ」と言った方がありました。なんと都合の良い話ではありませんか?

「お坊さんはわしらに仏法を説いてくれ。あんたの生活はわしらが責任を持つ」というのが本来の姿だったと思うのですが・・・。

 都会のど真ん中のお家で法事がありました。「午前11時から初めてくれ」というのです。つまり法事は1時間以内にしてくれということなのでしょう。そのために私は2時間もかけて出かけていったのです。

 法事のお経が終わったら、「はいありがとうございました」。お経が済めば、私は邪魔な存在になっていたのです。それから2時間もかけて寺へ戻ってきました。

 法事の参加者は、どこかへごちそうを食べに行ってしまったのでしょうが、都会のど真ん中でおっぽり出された私は、衣を着てラーメン店に入る勇気が出ませんでしたねぇ。

 二度目に依頼がありましたが、丁重にお断りいたしました。

http://diamond.jp/articles/print/109622
2016年11月30日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと
積極的な宗教心がないなら
宗教なしの弔いは可能な選択肢

 私事で恐縮だが、先週の金曜日(11月25日)札幌にいた筆者の父が、90歳の誕生日を目前に亡くなった。

 近年、お墓やお葬式の方法、さらにはお寺との付き合いになどに悩む人が多く、相談を受けることもあるので、読者の参考になればと思い、以下、札幌の我が家の弔いの様子を書く。

 あらかじめ申し上げておくが、筆者の意図は、読者に無宗教を積極的に勧めようとするものではない。信仰が人生の助けになる人もいるし、宗教は文化や芸術にも多大な貢献をして来た。また、先祖のお墓に手を合わせることが、心に良い影響をもたらすという意見もあり、これも否定しない。

 ただ、いずれの宗教にも入信しない場合や、何らかの宗教への信仰心はあるものの、現実の宗教ビジネスがあまりに商業的であって、端的に言ってお金が掛かりすぎることに納得できない場合に、筆者の家族のようなやり方があることをお伝えしておきたいだけだ。世間には、積極的な宗教心からではなく、惰性で、あるいは手続きのためだけに、お寺や墓地に拘束されて、面倒な思いと、少なからぬ支出に悩んでいる方が少なくないようにお見受けする。

 さて、大正15年生まれの父は、約2年前に転倒して頭部を強打し、生死をさまよう大怪我をしたが、リハビリテーションが上手くいき、1年半ほど前から札幌市内の介護付き施設に入所していた。老人特有のもの忘れや動作の遅さなどがあったが、認識は十分保たれていて、電話で話もできたし、碁を打ったり、俳句を作ったりもできた。妻(81歳)がほぼ毎日施設を訪ねて、また施設での人間関係にも恵まれて、順調に暮らしていた。

 数日前から背中の痛みを訴えて、病院に行くなど、やや不調であったが、亡くなる当日は、訪ねてきた妻とリンゴを食べ「美味しい、美味しい」と言って食欲もあり、施設の玄関まで見送りに出るなど前日よりも元気だった。母は「これから調子が上向くのだろう」と思って、午後遅くに札幌市内に所用で出掛けたという。
理想のピンピンコロリ
父の死亡から帰宅まで

 ところが、その日の夕刻、施設の担当者が夕食を知らせに来てみると、ベッドに座っている父の様子がおかしい。直ちに医者を呼んだが、18時14分付けで死亡が確認された。苦しんだ様子もなく、血を吐くなどの跡も一切なく、静かに事切れていたのだという。急変の知らせを受けた母は施設に駆けつけたが、最期には間に合わなかったし、息子(筆者)、娘(筆者の妹)も東京で働いており、同様だった。

 しかし、世間では理想の死に方と言う向きもある、いわゆる「ピンピンコロリ」の死に方の場合、こうなるのは仕方がない。本人・家族ともに最後の別れを言うことができないが、家族の時間を余計に使うこともなく、心配を掛ける時間もないし、終末の医療費も掛からないのは大変いい。

 なお、本人は、施設に対し、一時的な延命措置を望まないことについて、意思確認の書類を提出していた。意識がないのに、各種の管がつながって生きているような状態を、本人も家族も嫌ったのだ。

 知らせを受けて、筆者と妹は取り急ぎ羽田空港に向かい、最終便で札幌の実家に着いた。到着は零時を過ぎていたが、母が葬儀社に連絡を取り、父の遺体をすぐに自宅に戻しており、父は和室の一室に仰向けに寝ていた。顔に布は掛けられておらず、声を掛けると目を覚ましそうな様子だ。

 遺体はドライアイスによって冷却されており、葬儀社によると丸2日間、自宅に置くことができる。「その間、ゆっくりお別れしてください」と言う。ドライアイスは半日単位で葬儀社によって取り替えられた。

 遺体の様子はまるで普通で、恐ろしさや、おどろおどろしさは一切なかった。線香の臭いなどがないのが、良いのだろう。筆者は、二晩、遺体の近くに寝ていて、思い出したことなどを語り掛けた。生前の父との違いは、いびきも返事もないことくらいだ。

 今回のやり方だと、家族は故人との別れをゆっくり惜しむことができる。葬儀社が手際よく用意した枕元の小机に花を飾り、故人が好きだった珈琲や紅茶などを入れる度に声を掛ける。2日目の夜は、「そういえば、彼は、家族とすき焼きをするのが好きだった」と思い出したので、残った家族3人ですき焼きをしながら、故人の思い出話をした。

 家族だけで別れを惜しむのがいい、という母の意向で、父の死亡は、父の弟夫妻と札幌在住の甥、及び父が作った会社(現在は母が社長)の筆頭部下にしか知らせなかったので、彼ら以外の弔問客もない。
丸2日間、自宅の和室で
ゆっくりと家族だけでの別れ

 通夜・告別式などに伴う、受付、挨拶、香典のやりとり、お経やお坊さんの説教などもないし、何よりも家族はゆっくり眠ることができる。通夜、告別式は、冬場では会場のどこかが寒いし(かつて祖母の葬儀の際に、叔父が「坊主って、寒さに強いな」と言っていたのが印象的だ)、遺族が心身共にひどく疲れることが多い。ただでさえ悲しい時なのだから、これらがないのは大きなメリットだ。

 火葬は早々に日曜日と決まり、前日の夕方に、納棺師さん(若い女性で、希望してなったという。映画「おくりびと」でも観たのだろうか)が体を清めて、着替えを行ってくれた。遺体の肌を見せないように布を掛けたまま行うのだが、見事な手際で作業が進み、シャツにベストとジャケット、下はズボンという、妻が満足するお出かけスタイルの着替えが、短時間できちんとでき上がった。

 火葬までに家族がすべきことは、棺に一緒に入れる小物(なるべく燃え残らない物)を選ぶだけだ。今回は、息子、娘からの手紙、俳句やメモを書いていた鉛筆の入った筆入れ、娘宛ての住所が印刷された葉書数枚、それに本人愛用の帽子を入れた。

 火葬の当日は、葬儀社の車が来て遺体を運び出した。マンション暮らしのため、部屋に十分なスペースがないことと、棺の運び出しが困難なことから、遺体は葬儀社で棺に納めた。家族は葬儀社の車に同乗し、まず葬儀社へ、次に火葬場に向かう。

 火葬場では、焼香や読経その他が一切なく、立ち会った家族3人と、弟夫婦、甥の6人は、故人との別れを惜しむだけでいい。

 遺体は約90分で焼き上がった。6人で骨を拾い、骨壺に収めた。家族は、葬儀社の車で遺骨と共に自宅に戻った。

 母によると、総費用は、棺代なども含めて、約37万円だったという。やり方にもよるだろうが、お葬式を行うよりは安い。お葬式の場合、香典で費用が賄えるかもしれないが、他人が払うとはいえ、一連のサービスに多額の支払いを行うことだから、その納得性が問題だ。収支だけで考えるべき問題でもないだろう。

 お坊さんなしの弔い(「坊主フリー」と呼ぶか「坊主レス」と呼ぶか迷っている)、をやってみて、「何よりも、家族でゆっくり、心のこもった別れができたのが良かった」というのが故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息子、娘も、100%同意するところだ。
母の英断と行動力
お墓は3年前に撤去した

 かつて、父方の山崎家は、小樽市内のあるお寺の檀家だった。特に、一時期の父は熱心であり、そこそこに寄付なども行っていたので、寺の境内の良い場所に山崎家の墓があった。

 しかし、住職が代替わりするのと共にお寺の有り難みが薄れた。加えて、寄付を求める、墓があるのに納骨スペースを買わせる(父は130万円出して付き合ったが、一度も使われることがなかった)、お盆には頼みもしないのに住職がやって来ては心のこもらない(と我々には聞こえた)お経を上げてお金を持って行く、といった調子で、お寺の商業性が露骨に見えるようになって、しだいに不快感が募った。

 とはいえ、お寺に墓があり、先祖の骨を持たれている以上、お寺と縁を切ることができず、いわば、骨と墓を質に取られているような状態だった。

 その状態は長く続いたが、3年と少々前のある日、母がお墓を撤去して散骨を行うNPO法人があるとの記事を見つけて、興味を持った。お墓及びお寺が、子孫の負担になるとの考えの下、彼女は、息子・娘に相談して、お墓を撤去し散骨を行い、件のお寺と縁を切る意向を固め、これに父も同意した。

 その後の母の行動は早かった。記事で見つけた「一般社団法人・終活支援センター」と連絡を取り、さらに寺と交渉して、お墓からお骨を取り出し、お墓を撤去する作業を進めた。お骨の取り出しと洗浄、及びお墓を更地に戻す費用が数十万円掛かり、「きっと家族に悪いことが起こりますよ」という、お寺の脅しとも呪いともつかぬ嫌味を我慢したが、3年前に墓の撤去を終えて、お骨を父の一家にゆかりの深い小樽の海に散骨してもらった。

 散骨の費用は一体あたり3万数千円だったとのことで(現在の同センターのホームページには3万9000円とある)、11体分の費用が掛かったが、これで完全にお寺との縁が切れた。息子としては、母がしてくれた数々の事の中でも、特に感謝したい快挙であった。

 母は、実家の仏壇も撤去し、縁の近い先祖数人の写真を箪笥の上の目立つ場所に飾って、毎日、写真に向かって語り掛けている。彼女は、「狭い仏壇の中に閉じ込めておくよりも、はるかにご先祖様に対して親しみが湧くし、彼らのことを思い出す」と言っている。気が向いたら、飲み物や食べ物をお供えすることも勝手にできる。

 彼女も彼女の子どもたちも無宗教だが、先祖に対する親しみや感謝の念は大いに持っている。また、冒頭にも述べたように、筆者は他人の信仰心を否定しようとは思っていない。生きている者の気持ちが整い、気が済めばいいのだ。

 ただ、宗教及び「宗教ビジネス」を介在させなくとも、心のこもった弔いはできるし、先祖を思い出して感謝する生活をすることができる、ということをお伝えしたいだけだ。

 父の遺骨は、しばらく自宅に置かれる予定だ。どこかに散骨するのがいいか、自分も一緒に埋葬してもらえるようにどこかの施設に埋葬するか、遺骨の処置を、母はゆっくり考えるという。

 息子としては、もちろん散骨で構わないし、あるいは、母親も彼女の子どもも都会の賑わいと人間が好きなので、彼女の娘と息子が暮らす東京都下の共同埋葬施設に納めてもらうのがいいかもしれない、とも思っている。

 明日あたりは、父の写真が実家のどこかに飾られるはずだ。父の写真にあれこれ語り掛けながらの、母の新しい生活が始まる。

テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

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