リーダーにカリスマ性はいらない・リーダーシップ三つの特性

ドラッカーマネジメント

ドラッカー・・・・・
まぁ、メモです


http://blog.livedoor.jp/ffsyuji/archives/21573858.html
2012年12月24日
【リーダーにカリスマ性はいらない・リーダーシップ三つの特性】《ドラッカーマネジメント》

■リーダーシップは手段にすぎない

 リーダーシップ論が盛んである。私のところにも、ついこの間ある大手銀行の人事担当副社長が「カリスマ性を身につける」というテーマで、セミナーを開いてほしいと電話してきた。リーダーの資質についての本、論文記事、会議があふれている。いまやCEOたる者は、馬上の南軍将校やプレスリーのごとく振る舞わなければならないかのようである。

 リーダーシップは重要である。だがそれは、今日リーダーシップとして宣伝されているものとは大いに異なる。いわゆるリーダー的資質とも関係はない。カリスマ性とはさらに関係がない。神秘的なものではない。平凡で退屈なものである。その本質は行動にある。

 そもそもリーダーシップそれ自体、よいものでも望ましいものでもない。手段にすぎない。「何のためのリーダーシップか」が問題である。スターリン、ヒトラー、毛沢東の三人ほどカリスマ的なリーダーはいなかった。だが彼らは、史上例のない悪行と苦痛をもたらした似非リーダーだった。



■リーダーシップはカリスマ性と無縁

 リーダーシップはカリスマ性に依存しない。アイゼンハワー、マーシャル、トルーマンの三人は強力なリーダーだった。だがいずれも、爪の垢ほどのカリスマ性も持たなかった。第二次大戦後、西ドイツを再建したアデナウワーもそうだった。1860年、あのやせこけた垢抜けしないイリノイ出のリンカーンほどカリスマ性のない人物はいなかった。さらに両大戦の間逼塞していたチャーチルにもカリスマ性はなかった。大事なことは、彼が正しかったことだった。

 カリスマ性はリーダーを破滅させる。柔軟性を奪い、不滅性を妄信させ、変化不能とする。スターリン、ヒトラー、毛沢東に起こったことがそれだった。アレキサンダー大王が敗者とならずにすんだのは、早世にしたからにすぎないことは古代史の定説である。

 カリスマ性はリーダーとしての有効性を約束しない。ケネディは歴代のホワイトハウスの住人の中で最もカリスマ性があった。だが、彼ほど何もできなかった大統領はいなかった。

 リーダー的な資質や特性は存在しない。ルーズベルト、チャーチル、マーシャル、アイゼンハワー、モンゴメリー、マッカーサーは、いずれも第二次大戦中リーダーとして傑出していた。だが彼らのうち、資質や特性が同じ者はいなかった。



■リーダーシップとは仕事である

 カリスマ性でも資質でもないとすると、リーダーシップとは何か。第一に言うべきことは、「それは仕事だ」ということである。それこそ、シーザー、マッカーサー、モンゴメリー、1920年から55年までGMを率いたスローンなどのリーダーに共通したリーダーシップだった。

 効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持するものである。

 もちろん、妥協することはある。優れたリーダーは自分が支配者でないことを痛いほど知っている。スターリン、ヒトラー、毛沢東などの似非リーダーだけが幻想に取りつかれた。しかしリーダーは、妥協を受け入れる前に、「何が正しく望ましいか」を考える。リーダーの役割とは、明快な音を出すトランペットになることである。

 リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。現実の制約によって妥協せざるを得なくなったとき、「その妥協が使命と目標に沿っているか離れているか」によって、リーダーであるか否かが決まる。リーダーが真の信奉者を持つか、日和見的な取り巻きを持つにすぎないかも、自らの行為によって範を示しつつ、いくつかの基本的な基準を守り抜けるかによって決まる。



■リーダーシップとは責任である

 リーダーシップについていえる第二のことは、「それが地位や特権ではなく責任だ」ということである。優れたリーダーは常に厳しい。仕事がうまくいかなくとも、そして何事もだいたいにおいてうまくいかないものだが、失敗を人のせいにしない。チャーチルが「使命」を明確にしたリーダーの範とするならば、大戦中米軍の統幕議長を務めたマーシャルは、「責任」を負うリーダーの範だった。トルーマンが口にした「責任は私がとる」との言葉も、リーダーの本質を示していた。

 真のリーダーは、自らが責任を負うべきことを知っているがゆえに、部下を恐れない。似非リーダーは部下を恐れる。優れた部下の追放に走る。優れたリーダーは強力な部下を求める。部下を激励し、前進させ、誇りとする。部下の失敗に最終的な責任を持つが故に、部下の成功を脅威とせず、自らの成功と据える。

 リーダーはうぬぼれが強いことがある。マッカーサーに至っては、病的と言ってよかったかもしれない。逆に控えめなこともある。リンカーンやトルーマンにいたっては、劣等感をもっていたとさえ言ってよい。しかし彼ら三人は、いずれも周りに有能で独立心のある自信家を集めていた。部下を励まし、誉め、昇進させた。この三人とは全く違うタイプのアイゼンハワーも、連合軍の最高司令官を務めたとき、そうしたリーダーだった。

 もちろんリーダーといえども、有能な部下が、えてして野心家であるというリスクは知っている。しかしそれが、凡庸な部下にかしかずかれるよりは小さなリスクであることを知っている。

 優れたリーダーは、ロシアでスターリンの死後起きたように、またあらゆる会社で常に起こっているように、自らの退任や死をきっかけに組織が崩壊することが最も恥ずべき事であることを知っている。真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することが自らの役割であることを知っている。



■リーダーシップとは信頼である

 リーダーシップについていえる第三のことは、リーダーシップとは「信頼を得る」ということである。信頼がない限り、従う者はいない。そもそもリーダーについての唯一の定義が、つき従う者がいることである。信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。「リーダーのいうことが真意である」と確信できることである。それは、真摯さという真に臭いものに対する確信である。リーダーが公言する信念とその行動は一致しなければならない。少なくとも矛盾してはならない。

 もう一つ、リーダーシップについて古くから明らかになっていることは、それは、「賢さに支えられるものではなく、真摯さに支えられるものだ」ということである。

 これらのことをその大手銀行の人事担当副社長の女性に電話で言うと、しばらく返事がなかった。やがて彼女は、「それでは、経営者の条件として、ずいぶん前から明らかになっていることと変わりませんが」と言った。全くその通りである。(1988)

  『実践する経営者(P・ドラッカー)』より

テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

  1. 時事砲弾
  2. TB(0)
  3. CM(0)
<<都道府県民の信仰 | ホーム | 都議会自民党と公明党、まさかの連立解消宣言!東京大改革へ歴史的一夜に⁈>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tdollsss.blog7.fc2.com/tb.php/4175-33b8e3dd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)