謙虚さと誠実さのないSEALDs - 政治敗北の反省なく国民に説教

反安保運動ではなくSEALDs運動のお祭り

お祭りとしても、
賛同者が減っていくというオマケ付き・・・(爆)

メモ

http://critic20.exblog.jp/25943318/
謙虚さと誠実さのないSEALDs - 政治敗北の反省なく国民に説教
c0315619_17272234.jpg日経の最新の世論調査では、安倍内閣の支持率が62%に上昇している。2年ぶりに60%台を記録した。毎月の上下の変動はあるが、移動平均の直線にすると、昨年夏をボトムとして反転上昇し、その傾向が1年間持続したことが分かる。昨年7月末の日経の数字は38%だった。その1年間というのは、SEALDsが登場して野党連合の動きを進め、今年7月の参院選へと至った政治過程である。通常、日本の政治においては、若干の例外を除いて、政権は長期になればなるほど支持率を下落させてゆく。4年目の政権で60%の高さに戻すのは異例のことだ。今回の高い支持率は、リオ五輪閉会式で奇矯な演出をしてウケを取ったとか、そういう瞬間的な契機がもたらしたものではなく、まさしく去年夏からのリバウンドのエネルギーが作用している現象に他ならない。安保法をめぐる政治戦の国民的体験が、その後の政治の気分を逆流的に作っている。去年夏、日頃はあまり政治に関心を持たず、政治のニュースに首を突っ込むことをしない者が、身を乗り出して安保法の政治の渦中に入った。例えば、会社の同僚と昼飯を食ったり夜の居酒屋に行った席で、リスクを賭して、反安倍反安保の持論を切り出した者もいただろう。

こんなネオリベ全盛の時代であり、民間企業ではアベノミクスは絶対神であり、自民党支持がデフォルトで、安倍批判は御法度なのがルールという環境の下、敢えてリスクを冒して同僚の前で口を開いた - 声を上げたなどという勇ましいものではなく - 者もいたことだろう。それくらい、去年夏の安保法の政治は一人一人にとって重大な態度決定を迫られる機会だった。一人一人が、日常生活の中で何事か政治の動きをせずにはいられない非常事態に置かれた。戦争を回避すべく、平和を守るべく、法案廃止を願い、一歩踏み出して口を開き、会社同僚の前で反安倍反安保の立場(思想信条)を漏らしてしまった者は、政治に勝つという結果でしかリスクを解消・回収することができない。負けた場合は、当然、親安倍安保是認の組織環境の中で、後で冷徹な責めを負う。ペナルティを受ける。HR(人事勤労)のデータベースのレコードにフラグが立つ。政治的に要注意要警戒の社員となる。こんなことが、この国の民間企業の現場できっと無数に発生していたに違いない。そうした政治責任の問題が最も先鋭に苛烈に出たのが、放送業界での古館伊知郎と国谷裕子のケースに違いなかった。民間企業では普通はかく処罰される。組織の中の人間は代償を払わされる。

それはまた、小さな勇気を出して政治の抵抗に出て負けた者に、大きな後悔や慚愧の念をもたらし、重く長い後遺症に苦しむ状況に導いたことだろう。純粋に法案廃止を願って、覚悟してコミットに出た者は、国会前のSEALDsのデモの絵をテレビで見て、こんな子どものママゴトじゃ勝てないと直感しただろうし、どうしてこんな小僧が反安保の運動の主役に座っているんだろうと訝ったのではないか。危惧したとおり、すぐに安倍内閣の支持率は回復して行った。38%から62%に支持率が回復した中身には、特に日経の数字を考えると、そうした多くの人々のコミットの失敗と反対運動への失望、野党と(反安倍)マスコミに対する幻滅と不信のようなものが燻っているように感じられる。民間企業の、例えば、新橋あたりで昼飯を食ったり居酒屋で飲んだりする社員をイメージしたが、地方の中小企業の経営者のレベルでも同じではないか。取引先との関係でデフォルトは自民党支持であり、アベノミクスの地方末端への波及期待である。アベノミクス信仰の言葉が日常の挨拶だ。そういう経営者が、昨年夏の一瞬、身を翻して不穏な政治的正体を地域の業界関係者に晒すように、何かの場面で安保法案を批判し、憲法学者の立憲主義の正当性を口にしたかもしれない。リスクをかぶる危険な行為だ。

そんな小さな一つ一つの挑戦と覚悟の積み重ねが、昨年夏の日本の社会空間には充満していた。そして、希望は破られ、反体制の胡乱者のレッテルを貼られ、周囲から後ろ指をさされる肩身の狭い境遇を得た。後悔しているだろう。昨年夏、反安保の意思を示した地べたの者の多くは、SEALDsと市民連合のその後の誘いに乗ることなく、野党共闘を支持する方向に流れなかった。60年安保のときも、似たような大きな失意や無念や消沈の国民的経験をしている。そのときは、しかし、傷心が傷心として、鬱懐が鬱懐として正しく歴史になっていて、『アカシアの雨がやむとき』や『上を向いて歩こう』の作品に結晶され、われわれの歴史認識になって定着している。今回、それがない。反対運動を操縦した側の口上は、SEALDsが民主主義を教えてくれたとか、SEALDsが政治のスタイルを変えたとか、SEALDsが未来を切り拓いたとか、SEALDsがSEALDsがという、歯が浮くような礼賛と崇拝のみであり、子ども(SEALDs)を無条件に美化して運動の意味を総括する態度だけだ。大きな挫折をしたという苦悩や反省がなく、平和を守る戦いで決定的な敗北をしたという焦躁の意識がどこにもない。去年やったのは、反安保運動ではなくSEALDs運動のお祭りだったかの如くだ。

解散のときの奥田愛基の口上と態度は、国民に対する上からの説教そのものだ。奥田愛基の説教を、マスコミがありがたく感涙しながら拝謁し、それを、よく聞くのだぞと国民に知らしめて教育している。マスコミの中でSEALDsを批判する者がなく、流行語大賞も取った「国民的人気者」だから、奥田愛基は当たり前のように高慢に説教を垂れて国民に聞かせる。本来、奥田愛基とSEALDsは、木偶人形の神輿であっても敗軍の将であり、政治運動の敗北責任を引き受ける立場である。安保法施行という結果に対して、また、この禍根が国民に与える脅威に対して、反安保の政治運動のシンボルとして責任を感じる言葉が発されないといけない。阻止できずに申し訳なかったとか、応援してもらったのに力不足で残念だとか、改憲3分の2を取られたのは自分たちの未熟のせいだとか、そういう言葉を国民は期待していただろう。言い訳になってもよいから、どうして法案阻止に失敗したのか、なぜデモの人数が膨らまなかったのか、正直に総括を語るべきだった。反安保運動の代表としてスポットライトを浴び、安保法反対の国民の意思が結集するポジションに立っていたのだから、運動終了時に責任主体として言葉を国民に示すのは当然だ。奥田愛基とSEALDsの言葉には、謙虚さと誠実さがないのである。

その面の不具合は常に感じさせられる。若者だから未熟でもいい。言葉を持ってないのは仕方がない。政治で人を動かすためには言葉が要る。言葉は勉強と経験で身につけないといけない。若者にそれを要求するのは無理な話だ。だから、SEALDsに言葉がなかったことを咎める気にはなれない。けれども、言葉がなくても、人は謙虚で誠実であれば、未熟でも活動を積極的に評価されるし、意見や主張に対して納得や同意を得られるし、場合によっては人に感動を与えることができる。支持される。SEALDsには最後まで謙虚さと誠実さがなかった。横柄で不遜な印象ばかり漂って終始した。その一つの証左としてデモの人数が挙げられる。昨年9月30日に河出書房新社から出た『民主主義ってなんだ』という本のP.85に、SEALDsのデモの人数が一覧で出ている。そこにはウソばかり書いてある。実数の5倍から10倍に膨らませた数を堂々と本に書いている。例えば、7月15日のデモについてSEALDsは10万人と公式発表している。この日は衆院で強行採決された日で、私も国会前のデモに出ていた。事実を証言できる者だ。7時半に当番をSEALDsに引き継いだとき、総がかりの司会が報告した人数は1万人だった。マイクの声をはっきり覚えている。私自身は、この日の人数を2万人とカウントするけれど、それにしても、総がかりが1万人と発表しているのに、どうしてSEALDsだと10万人になるのか。

この日を境にSEALDsのデモの人数は減っていく。が、SEALDsは異常な水増しの数値をずっと発表し続け、それを出版した本で公式記録として残すという欺瞞をやってのけた。7月31日、「安全保障関連法案に反対する学生と学者の共同行動」という催しが砂防会館であり、その後、国会前に移動するのだが、そのときのデモ参加者をSEALDsは2万5000人と書いている(河出:P.85)。実際はどうだったというと、吉良よし子が当日のTwに正確な数を残していて、「3000人の参加は圧巻です」と記している。8倍の数に粉飾していた。8月30日の国会前デモも、集会の進行を仕切った総がかりの高田健が12万人と公式発表したにもかかわらず、SEALDsは35万人と言い張り、その誇大な数字をそのまま河出の本に印刷した。主催者発表が12万人だから、せいぜい6万人から7万人が実数だろう。SEALDsは常に5倍から10倍膨らませる。その手法は2012年の反原連のときからしばき隊が一貫させているもので、しばき隊の方法がSEALDsのデモでも踏襲された。SEALDsに謙虚さと誠実さがないのは、しばき隊譲りだからだろうと私は推測する。推測というより確信だ。SEALDsはデモの人数でウソをつき続けた。SEALDsの面々の表情に、若者でありながらあざとさが漂い、純粋さが感じられないのは、ウソをついて人を騙す政治の構造があるからだと思われる。

自分たちの運動に裏のカラクリがあり、それをマスコミぐるみで巧妙に隠蔽しながら、表向きはきれいな物語にして演出している真相を、彼ら自身がよく承知していて、詐術する者の心理が微妙に表出してしまうから、だからあざとさが際立つのに違いない。マスコミを使って人(大衆)を上から弄ぶ快感みたいなものが透けて見え、大人社会に対する底意地の悪い怨恨とか、騙されつつキャッキャ喜んでいるナイーブな中高年左翼への侮蔑の毒気が窺われる。だが、国民は気づいているのだ。そして深く傷ついているのだ。その反動が現在の(支持率62%の)政治状況を作り出しているのである。



テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

  1. 時事砲弾
  2. TB(0)
  3. CM(0)
<<ニュース一覧にない話 | ホーム | 釣り・・・(笑)>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tdollsss.blog7.fc2.com/tb.php/3886-1d958706
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)