憲法集会のことなど

やがてバレるだろうが、
黒石健太郎は民主党候補者に公募合格する前に、
某党の候補者公募に応じて落選
したのではなかったか。
つまり国会議員になりたかった。ただそれだけだったろう。
何も特異な例ではない。
岡山の津村も柚木も高井もみんな同じである。

メモです・・・・
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-2183.html
古本屋通信    No 1897   5月04日

   憲法集会のことなど

 きのう岡山で憲法集会があって、つれあいは参加したが、私は行かなかった。もう30年くらい毎年つれあいは参加しているが、私は今だ一度も行ったことはない。これと云って行かない理由はない。ただ億劫なのだ。

 つれあいの簡単な報告を聞いた。渡辺治の講演が分かり易くてよかったという。自分もよかったと思ったが、拍手が鳴りやまない盛況ぶりだったそうな。ふ~んと思う。そんなによかったのか。こういう場所で喋れるのは渡辺くらいしかいないのかとも思う。

  こう書いた以上、ひとことだけ。昭和22年生れだから私より二歳年下である。東大法学部卒は加藤哲郎と同期である。一橋大学名誉教授まで同じだ。私は研究者としての2人の仕事のいくらかには目を通しているが、素人が研究に口を挟めるわけがない。だからその部分にはコメントできない。

  然し渡辺が講演した内容は政治学者の専門的な憲法論ではないだろう。ごく一般的な憲法論である。それにも私ごときが口を挟むのは僭越であろうか?

 竹永みつえさんが参加した者として報告文を書いていた。ふ~ん、渡辺は下らんことを喋ったんだ、そう思った。60年安保闘争を引き合いに出して、それとは明らかにちがう市民革命に通じる今回の戦争法反対の運動だと。これだと五十嵐仁の大論攷と変わらない。要は学者・研究者としての言及を超えて、現実政治の要請、もっとハッキリ云えば日本共産党の参院選対策の主張に媚びを売っているのだ。これで渡辺の研究者生命も尽きたな、そう思った。

 いま見ると、竹永さんの最新の記事、つまり憲法集会の報告文が削除されていた。たぶん私の攻撃を受ける予感がしたのだろう。

 市民革命とは西洋の絶対主義時代の革命を言う。フランス革命やイギリスの名誉革命などだ。それをずっと時代を下って、1989年の東欧の崩壊を市民革命と呼んだのが加藤哲郎である。私は加藤説に同意しないが、これはこれで解釈としては納得できる点もあった。しかし今回の安保法制反対の運動が市民革命に通じるなど、どこをどうとっても事実に反するだけでなく、カルトのデマ宣伝である。まあ日本共産党の場合は参院選対策の一時的な文言として大目に見てもよい。しかし五十嵐や渡辺は仮にも研究者である。もう研究者生命を抹殺するしかない。

 今日の赤旗にも「市民と野党の共同で」とある。赤旗の折り込みチラシの岡山県委員会の文にも「市民・野党共闘が実現」とある。いったい市民は何処にいる誰なのだ。市民など一人もいないではないか。市民革命が聞いて呆れる。

 やがてバレるだろうが、黒石健太郎は民主党候補者に公募合格する前に、某党の候補者公募に応じて落選したのではなかったか。つまり国会議員になりたかった。ただそれだけだったろう。何も特異な例ではない。岡山の津村も柚木も高井もみんな同じである。恥じることはない。自民党を落ちたから民主党に来ただけだ。ただし我々はそういう国会議員はいらない。泥棒はいらない。詐欺はいらない。


修正、加筆されていたのでメモ

現在の社民党末端はいくらか関係ているだろうが、
主要には日本共産党と旧共産主義労働者党の(政治党派を表面に出さない)統一戦線
福木さんは何所に目が付いているのだろうか。
毎年そして今年も、この岡山での憲法集会の司会者の一人は光吉準氏である。
誰でも知っている旧共産主義労働者党(のちの政治グループ蒼生あおしょう)の党員である。
福木さんの属する赤磐市議にもこれに連なる市議はいる。
原田素代さんだ。これはすばらしい共同である。
福木さんは
最少限安保法撤回のたたかいと憲法集会を混同ない方がよい

すこしボケているよ。

古本屋通信    No 1897   5月04日

 5/3 憲法集会と渡辺治、それに黒石健太郎の 隠された過去

 きのう岡山で憲法集会があって、つれあいは参加したが、私は行かなかった。もう30年程つれあいは毎年参加しているが、私は今だ一度も行ったことはない。これと云って行かない理由はない。ただ億劫なのだ。

 つれあいの簡単な報告を聞いた。渡辺治の講演が分かり易くてよかったという。自分もよかったと思ったが、拍手が鳴りやまない盛況ぶりだったそうな。ふ~んと思う。そんなによかったのか。こういう場所で喋れるのは今や渡辺くらいしかいなくなったのか。

  こう書いた以上、ひとことだけ。渡辺治は昭和22年生れだから私より二歳年下である。東大法学部卒は加藤哲郎と同期である。東大7学部集会の確認書の世代だ。一橋大学名誉教授まで加藤哲郎と同じだ。私は研究者としての2人の仕事のいくらかには目を通しているが、素人が研究に口を挟めるわけがない。だからその部分にはコメントできない。

  然し渡辺が講演した内容は政治学者の専門的な憲法論ではないだろう。ごく一般的な憲法論である。それにも私ごときが口を挟むのは僭越であろうか?

 竹永みつえさん(共産党岡山市議)が参加した者として報告文を書いていた。

 5月04日 憲法集会  投稿者 :竹永みつえ
輝け!日本国憲法!県民の集いに参加しました。今年は会場が広くなって心配でしたが、満席。いつもの朗読や歌、よしだよしこさんのステージも素敵でしたが何より会場に熱気もありました。一橋大学名誉教授の渡辺治さんの、「安倍政権による戦争法の発動、改憲を許さない」のお話は、野党共闘への動きは市民がつくったもの、市民革命が起こっている、明らかに60年安保の時より違う動きだと語られました。なんだか元気と勇気の湧くお話でした。戦争法を許さない宗教者の集いに渡辺さんが出られた時のお話が印象的でした、黙祷の場面で、南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経、アーメンなどそれぞれの宗教で祈る声が聞こえた、この運動はそれぞれの宗教や思想を捨てるのでなくそのままで戦争法をなくす一致点で戦うことなんだと改めて感じたとのこと。 国会の論戦も野党が協力して安倍さんを追い詰めた、だからこそ、戦争法が施行されても発動できないのだと。 国会の中と外であらゆる立場の人が戦争だけは嫌だとつながりうねりのようになっている!とワクワクするお話でした。7日の弁護士会のシンフォニーホールの集会の訴えを吉岡弁護士がされましたが、2000人でいっばいにしようと会場の方から声があがりました。では7日午後2時、今度はシンフォニーホールにみんな、集合!

  ふ~ん、渡辺は下らんことを喋ったんだ、そう思った。60年安保闘争を引き合いに出して、それとは明らかにちがう市民革命が起こっている、それが今回の戦争法反対の運動だと。これだと低能キチガイの五十嵐仁の「大論攷」と変わらない。要は学者・研究者としての言及を超えて、現実政治の要請、もっとハッキリ云えば日本共産党の参院選対策の主張に媚びを売っているのだ。これで渡辺の研究者生命も尽きたな、そう思った。

 市民革命とは西洋の絶対主義時代の革命を言う。フランス革命やイギリスの名誉革命などだ。それをずっと時代を下って、1989年の東欧の崩壊を市民革命と呼んだのが加藤哲郎である。私は加藤説に同意しないが、これはこれで解釈としては納得できる点もあった。しかし今回の安保法制反対の運動が市民革命だなどは、どこをどうとっても事実に反する。それだけでなくカルトのデマ宣伝である (さすがに5中総の志位報告では市民革命とまで断言できず 「戦後初めての市民革命に通じる運動」 となっている)。まあ日本共産党の場合は参院選対策の一時的な政治宣伝の文言として大目に見てもよい。しかし五十嵐や渡辺はかりにも研究者である。もう研究者生命を抹殺するしかない。たとえ会場の受けを狙った口から出まかせの発言であっても、研究者としては万死に価するということだ。


  つづいて福木京子さん(共産党赤磐市議)の文はこうである。

 ・・・・・13:30開会あいさつ、詩の朗読、合唱、ギターと歌、休憩を挟んで、一橋大学名誉教授の渡辺治氏が、「安倍政権による戦争法の発動、改憲を許さない」と題して、1時間30分講演しました。とてもわかりやすく、勇気をくれた講演でした。今私たちは、歴史的な戦いをしており、この戦いをいっそう大きく広げ、参院選で安倍政権を倒したいと思いました。特に、安保闘争以来55年ぶりにできた共同は、3実行委員会方式で、14年12月15日総がかり結成「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」型の共同。平成27年5月3日憲法集会で、民主党、共産党、社民党が一堂に会するというかってない事態とのこと、本当にすごいことが起こっているのだと実感しています。


  政治情勢を見るときには敵と味方の力関係を精確に捉えなければ、ただしい政治方針を打ち出すことは出来ない。竹永さんに戻るが、彼女は渡辺を引いてこう書いている。「国会の論戦も野党が協力して安倍さんを追い詰めた、だからこそ、戦争法が施行されても発動できないのだ」 と。たしかにそういう一面はある。だからこの一面を見逃さないことは大切である。然し基本はこうだ。「国会の論戦も野党が協力して安倍さんを追及した。しかし国会でのたたかいを含めて、戦争法案を阻止できるだけの大衆的たたかいを組織できなかった。だから戦争法が国会を通過してしまった」。福木さんの認識の誤りもこれに尽きる。それにハッタリをかまさないことだ。「安保闘争以来55年ぶりにできた共同」などは私たちの半世紀のたたかいを冒涜するものだ。60年安保闘争以来、数限りなく優れたたたかいはあったし、革新自治体の経験も含めて、あらゆる種類の「共同」、すなわち統一戦線の萌芽はあった。今回など目ではないのだ。

  それにせっかく憲法集会に参加したのだから、いい加減なデタラメを書かないほうがよい。5月3日の憲法集会は30年近く続いているが、すくなくとも「民主党、共産党、社民党が一堂に会する」集会ではない。これは過去も昨年も今年も変わらない。政治党派の合同集会ではない。それでも集会の背後には政党の努力はあっただろう。然しそれは昨年の5月3日憲法集会で始まったものではない。しかも民主党がこれに絡んだことは一度もない。旧社会党右派や、まして社民右翼の江田親子一派が参加したことは一度もない。現在の社民党末端はいくらか関係ているだろうが、主要には日本共産党と旧共産主義労働者党の(政治党派を表面に出さない)統一戦線であった。福木さんは何所に目が付いているのだろうか。毎年そして今年も、この岡山での憲法集会の司会者の一人は光吉準氏である。誰でも知っている旧共産主義労働者党(のちの政治グループ蒼生あおしょう)の党員である。福木さんの属する赤磐市議にもこれに連なる市議はいる。原田素代さんだ。これはすばらしい共同である。福木さんは最少限安保法撤回のたたかいと憲法集会を混同ない方がよい。すこしボケているよ。



 今日の赤旗にも「市民と野党の共同。で」とある。赤旗の折り込みチラシの岡山県委員会の文にも「市民・野党共闘が実現」とある。いったい市民は何処にいる誰なのだ。市民など一人もいないではないか。市民革命が聞いて呆れる。

 やがてバレるだろうが、黒石健太郎は民主党候補者に公募合格する前に、某党の候補者公募に応じて落選したのではなかったか。敗れた相手は山下貴司だ。いま衆議院議員になっている。つまり黒石も国会議員になりたかった。ただそれだけだ。何も特異な例ではない。岡山の津村も柚木も高井もみんな同じである。恥じることはない。自民党を落ちたから民主党に来ただけだ。ただし我々はそういう国会議員はいらない。泥棒はいらない。詐欺はいらない。国会をなめるな。議院内閣制をなめるな。有権者をなめるな。崎本敏子は恥を知れ。
(この情報は既にネット上に拡散されている。黒石本人や民進党筋は隠すだろうから、少なくともこちらから流れた情報ではない。共産党筋の県委員会中枢部分は既に知っていただろうが、こちらも隠すに違いない。すると自民党筋か、あるいは自民党筋から伝え聞いた公明党筋がコッソリ流したのだろう。それを広く流布することによって黒石が自党の公募に落選した二流の人物だと宣伝できる。併せて黒石が何の政治的節操もない人物であると宣伝できる。それとこの情報が拡散することによって、共産党関係は黒石の選挙から完全に手を引くであろう。もとからやる気はなかったのではあるが)。


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 市民革命について、マルクス主義の立場からの用語解説は各種社会科学辞典にあるが、ここでは一般的な高校生レベルの解説を挙げておこう。議論し始めたら際限がなくなるが、この解説は大筋で妥当であろう。


  世界史用語解説 授業と学習のヒント appendix list

 市民革命/ブルジョワ革命
西ヨーロッパ封建社会末期の絶対王政を倒し、市民社会を出現させた変革。ブルジョワ(産業資本家層)が政治的権力を握った革命と見ることもできる。

 一般に市民革命は、領主・農奴関係などの封建社会、その上に成り立つ国王が絶対的な権力を有している絶対王政に対して、市民(ブルジョワジー)が蜂起して実力で市民の自由・平等、政治的権利などを獲得した変革をさす。一般的にはその主体がブルジョワであったのでブルジョワ革命と言われている。
 市民革命は、17世紀のイギリス革命に始まるが、それは市民革命としては不十分な面があり、18世紀末のアメリカ独立革命で最初の市民社会と市民の政治的権利が確立した共和政国家が成立し、さらに典型的な市民革命としてフランス革命が展開されることとなる。これらの大西洋を挟んで展開された革命運動と、イギリスの産業革命を連鎖的な革命運動ととらえる大西洋革命というとらえかたもある。

 市民革命の概念
 「市民」とは、「貴族」や「領主」、「特権的大商人」、「大地主」などに対する階級概念であり、初期には手工業工場主、小地主などとして資本を蓄え、産業革命を経て資本家となった階級であり、有産階級「ブルジョワジー」(その単数形がブルジョワ)とも言われる。従って一般には市民革命は「ブルジョワ革命」の訳語として用いられる。ただし、日本では「市民」概念に混乱があるため、マルクス主義で言うブルジョワ革命の訳語として「市民革命」があてられたが、西欧ではそのままの「市民革命」ということばはなく、それは日本語だという指摘もある。(樺山紘一『世界史の知88』新書館 p.111) → 市民社会

 いろいろな市民革命
 「市民革命」は「市民社会」を出現させたというが、実際にはその通りであったのはアメリカ独立革命ぐらいのもので、その先駆とされるイギリス革命は17世紀に起こってイギリス立憲君主制を成立させたが、貴族や地主(ジェントリ)に替わる市民(ブルジョワ)の成長はまだ不十分であり、彼らが権力を握るのは産業革命を経た後の19世紀前半の自由主義的改革が展開された時期であった。また、18世紀のフランス革命でもたしかに王政は倒され、封建的特権は廃止され、人権宣言も出されたが、一気に市民社会が実現したのではなく、ナポレオンの帝政、復古王政、七月王政、1848年の二月革命、ナポレオンの第二帝政、パリ=コミューンを経て、第三共和政の時期に「市民社会」が完成するという複雑な課程をとっていることに十分注意しておこう。
 ウィーン体制のもとで、ヨーロッパ各国での市民の自由を求める自由主義の動きと国民統合を求める国民主義(ナショナリズム)の動きは抑えられていたが、それらの動きが爆発した一連の1848年革命は市民革命の延長線上にあるといえる。しかし、フランスの二月革命に見られるように、同時に市民内部の資本家層と労働者層の対立という新たな対立軸の萌芽が現れてくる。
 ヨーロッパの東端にあり、絶対王政が最も強固に残存し、市民層の成長が最も遅れていたロシアでは、19世紀末からようやく革命運動が起こってきたが、最初から市民革命の要素と社会主義革命の要素を混在させたところに特徴があった。1917年の第2次ロシア革命の過程で起こった二月革命(三月革命)は市民革命的な意義付けができるが、その年のうちに起こった十月革命(十一月革命)では一気に社会主義革命に突きすすんでいった。

 アジアの市民革命
 なお、「市民革命」をヨーロッパ以外の世界で当てはめようとすると、ズレが生じてくる。たとえば日本の明治維新は「市民革命」といえるのかどうか、「絶対主義」の成立と言うのが正しいのではないか、などの古くから議論があるが、単純に比較することは出来ない。中国でも「辛亥革命」は一般に市民革命とは捉えられず、1924~27年の国民革命が市民革命に近い。それについても、毛沢東は不十分だと見ており、その「新民主主義論」では1949年の中華人民共和国の建国からの当面の課題が中国独自の市民革命であると捉えている。アジアにおける革命は、民族独立の要素が深くなっている。

2016/05/04(水) 14:18:43

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