政策不一致と野合

なかなか鋭くて・・・・
メモ

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共産党のベタ降りの背景と民主党の安保対案の非立憲 - 政策不一致と野合
昨夜(2/22)のNHKのニュースでは、共産党が1人区の候補を撤回する方針を正式に決定したことが報道されていた。このベタ降りの「野党共闘」策について、岸井成格などは両手を挙げて賛美しているが、国民の多くは決して同じ評価ではないだろう。現在、共産党は猛烈な逆風に襲われている。そのことは、京都市長選の結果で明らかだ。3年間、順調に党勢を伸ばしてきた共産党に、突然、昨年秋から強い逆風が吹き始めた。民意を急に失い始め、大事な4市長選で連続して大敗を喫する結果となった。そんな中での1人区の候補取り下げは、党の戦略としてかなりの博打である。私の辛辣な見方を言えば、「国民連合政府」という杜撰な政治の博打に出て負けたため、その穴埋めに奔って、強引に「野党共闘」という次の博打を張っている姿に映る。その勝負がどうなるかは、前の記事で予想を書いた。すべては9月19日の「国民連合政府」が発端なのであり、その党利党略に失敗したため、負債がしわ寄せで溜まり、参院選1人区でベタ降りするか、独自候補で突っ張るか、不本意な二者択一に追い込まれた。「安保法廃止」の大義名分は体裁だけかろうじて保てたが、実質的な政策合意はできておらず、有権者に責任ある選挙の共通公約になっていない。



前回の記事で紹介したが、民主党は維新と共同で2/18に安保法制の対案を国会提出している。5野党で安保法制廃止法案を提出した前日のことだ。その中身には、豪州軍など米軍以外の軍への武器弾薬の提供が盛り込まれ、「駆けつけ警護」の容認も盛り込まれている。紛争地の民間人が武装勢力に襲撃されたとき、自衛隊が武器を携えて助けに行くのが「駆けつけ警護」で、武装勢力との戦闘が前提されている。相手を殺し、自衛隊員も死ぬ。昨年夏の安保国会でずいぶん議論になり、志位和夫がドイツ軍のアフガンPKOの事例を説明した場面があった。素晴らしい「集団的自衛権」批判とPKO論の講義だった。啓蒙された。マスコミも大きく報道した。世論の流れを変える、歴史に残る見事な国会質疑で、安倍晋三も圧倒されていた。共産党支持者と左翼リベラルに訊きたいが、「駆けつけ警護」は憲法9条違反ではないのか。憲法9条を変えずに、自衛隊に「駆けつけ警護」の任務をさせていいのか。憲法は戦争放棄を誓い、軍隊の保持を禁止している。この憲法を改定する手続きを踏まないまま、自衛隊の「駆けつけ警護」を法制化するのは、立憲主義の否定にはならないのか。

昨年夏の安保法制の政治戦の議論のとき、われわれは憲法学者からそのようにレクチャーされたし、共産党や市民連合やしばき隊も異口同音にそう言っていたはずだ。憲法の条文規定を明白に逸脱し、内閣法制局が戦後一貫して踏襲してきた憲法解釈を変更するのであれば、正規の手続きに従って憲法を明文改正しないといけない。それが立憲主義の国家の原則であり、改憲手続きを踏まずに違憲立法を行うことは非立憲である。そう、小林節も石川健治もテレビの前の視聴者に諄々と説いた。であるなら、立憲主義の回復を掲げる共産党と市民連合が、非立憲の安保法対案を成立させようとする民主党と手を組み、1人区の「野党共闘」選挙を推進するのは矛盾ではないのか。辻褄が合わないだろう。「駆けつけ警護」に反対する選挙区の有権者は、誰に投票すればよいのだ。共産党と市民連合は、「駆けつけ警護」は認められないと拒絶する護憲派の有権者に向かって、鼻をつまんで民主党候補に一票入れろと言うのだろうか。5野党と市民連合が宣揚する「安保法廃止」の大義と、民主・維新の「駆けつけ警護」を法制化する対案とは、どう整合をとることができるのか。国民はどう理解すればよいのか。

率直に言って、民主党も、共産党も、あまりに無責任で国民を愚弄している。TPP、消費税、原発、この三つの重要な基本政策について、民主党と共産党は水と油だ。政策対立は調整されておらず、有権者に共通公約が示されていない。この政策不一致は、6月の選挙戦の際に必ずテレビ討論で衝かれる急所となるだろうし、例えば、反町理のような政局猛者に生放送で突っ込まれて穿られる注目の論点となるだろう。そのとき、安保法廃止の大義があるから、これを最優先に考えて、生活関連政策については棚上げで我慢してくれと言われれば、それはそれで、納得できないとしても、プライオリティ論として一つの政治の理屈にはなる。けれども、肝心要の安保政策において、実際には民主党と共産党は水と油なのであり、国民に向けて責任ある調整は果たされておらず、大義で掲げた共通目標を具体化する中身は空っぽなのだ。「野党共闘」には、安保も含めて政策合意の内実が何もなく、形式と演出だけであり、1人区での共産党ベタ降りという選挙協力があるだけなのである。これを野合と呼ばずして何と呼ぶのか。共産党にはメリットはない。メリットはないが、党利党略を最後まで完遂せざるを得ない事情がある。

SEALDs運動を政党としてドライブし、「国民連合政府」構想をキャリーし、市民連合の「野党共闘」に乗ってきた手前、最後までこの運動を引き受けなくてはいけない内向きの責任的立場がある。共産党がこの「野党共闘」を否定すれば、昨年夏からの党の路線すべてが破綻・崩壊するという組織の危機に直面してしまう。だから、メリットはなくても、5野党の「安保法廃止」の大義をかざし、「野党共闘」で前進するしかないのである。リアルな党の論理を窺えば、選挙区の票を民主党に流す経路と実績を作る初の試みがなされ、次の衆院選の小選挙区での「野党共闘」が睨まれている。予行演習だ。それが党の裏の計算だろう。共産党は、公明党が自民党と身も心も癒着合体したように、彼らの「成功経験」を倣って、民主党と選挙区で一心同体になる思惑なのかもしれない。そうして、少しずつ戦時の大政翼賛会の一部になって生き残りを図るのかもしれない。いかにもファシズムの時代に起こりそうな政治の奇観だ。こうした共産党の態度は、これまで共産党を信用してきた護憲派に混乱と危惧を与えるだろう。民主党が対案で認めた「駆けつけ警護」や豪州軍への後方支援は、どう考えても「立憲主義の回復」のお題目とは合致しないからだ。

私は、共産党が民主党と選挙協力して票を流すリアル・ポリティックスに対して、頭から否定するわけではない。これまでの選挙の機会では、何度かその決断と実行を呼びかけたことがあった。が、今回については筋の悪さを直観するし、SEALDs運動および「国民連合政府」作戦からの延長という点で、博打の失敗を博打で取り返す愚策だと判断する。無党派の国民はSEALDsを支持しておらず、市民連合の「野党共闘」への共鳴も広がっていない。共産党への国民の視線は、4市長選の結果こそが真実を示唆していて、共産党はその民意を謙虚に受け止めるべきだろう。現在の永田町の政治は一強多弱で、2009年の政権交代の選挙のときとは状況が違っている。もはや二大政党の時代ではなく、国民は二大政党が政権交代するシステムを求めていない。2009年の民主党は社民的な左寄りのマニフェストを掲げていて、その面でも共産党が票を支援する価値があった。2010年の裏切り(逆コース)の後、民主党の政党としての性格は変わり、消費税とTPPをめぐる党内抗争と小沢派追放を経て、基本政策で自民党とコンパチブルな政党に浄化された。国民はその事実を知っていて、受け皿にならないことを確信している。だから、宮城県議選のような異変が起きるのである。

再認識しなくてはいけないことは、既成政党の中で政策の対立軸を作っているのは、唯一、共産党だけだということだ。憲法、TPP、原発、消費税、内部留保、選挙制度改革、どれを取っても、政策の対立構図は、自民・公明・お維・維新・民主vs共産という図式になる。この国で野党とは共産党のことだ。共産党が担いでいる左翼リベラルの政策に、民主党を同調させようという発想には無理があり、どれほど時間と手間をかけても成功しない。もともと「政治改革」の原点のときから、民主党は共産党の政策と親和性を持つ仕様には設計されていなかった。むしろ、二大政党制によって共産党を排除し、その政策傾向を地上から抹殺するために、民主党はこの国に誕生したのである。民主党とは政治の世界における連合であり、連合が民主党の土台(下部構造)に他ならない。国民が関心を持つ三つの基本政策、TPP、消費税、原発。民主党のその三つの政策を規定しているのは連合の方針だ。TPP推進、消費税増税賛成、原発再稼働。連合の政治哲学は変わらない。民主党は連合から絶対に離れられない。左翼リベラルが考えるべきは、新しい政党を永田町の外側から立ち上げ、左翼リベラルが求める政策を担わせることで、対立軸を作ることのできる新党を創出することだ。

一強多弱の中、国民が飽きて支持しなくなった民主党にしがみつく「野党共闘」は滑稽だ
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