民主主義を利用するビジネスモデル

SEALDsが、
明示的に民主主義の概念を整理したこともなければ
従来とは異なる民主主義の新しい理念を措定したこともない

SEALDsはそうした民主主義の方法論を言挙げすることもなく、
安保法が通ったら
すぐさま選挙運動に切り換えて
方法論は何でもありになってしまった。

SEALDsが売れ筋商品であり、
SEALDsを持ち上げて金儲けができているからである。
売れっ子お笑い芸人のように、あと1年か2年、ひよっとして5年、売れる素材にすることに成功

日比谷の野音集会に登壇する業界ヒエラルヒーの定番メンバーは、
何とも貧相で言葉が軽い。
仕切る顔ぶれはいつも同じで、
佐高信、落合恵子、坂本龍一、香山リカ、雨宮処凛、神田香織とかが出てくる。

週刊金曜日としばき隊カンパニーは左の電通のようでもあり、
芸能プロダクションのようでもある。
SEALDsはReDEMOSを立ち上げて、
SEALDsのブランドでカネが回る仕組みを整えた
シンクタンクを作るなど、夏の法案阻止運動の頃は言ってなかったことだ。
本当なら、卒業して社会の荒波に揉まれるところを、
また、学生が政治運動してマスコミに出張ったツケ(責任)を払わされるところを、
巧く回避するビジネスシステムを作って逃げた
最初から考えていたのだろうか。あざとい

http://critic20.exblog.jp/25094787/#25094787_1
今年1年を振り返って - 安保法成立の無念とSEALDs運動のあざとさ

今年1年を振り返ったとき、やはり言わなくてはいけないことは、安保法が制定されてしまったことだ。9月19日未明に成立し、9月30日に公布された。来年3月末までに施行となり、来年度の自衛隊は新しい安保法制の下での運用となる。あらためて言うまでもなく、この新法制は憲法9条の改定を先取りしたもので、違憲立法であり、本来なら9条を改定した先に生まれ変わるべき自衛隊が、そのまま出現して活動してしまうことになる。中身としては、安倍晋三がDCで約束してきたとおり、米軍の戦争に自衛隊を差し出して使ってもらうということであり、来年からの戦争に自衛隊を駆り出すということだ。具体的にどんな戦争かということは、1年前に米国の安全保障と外交のシンクタンクの幹部が報ステで証言を残していて参考になる。私は、尖閣危機が起きて安倍晋三が政権を取った2012年から、ずっと、2016年6月頃に中国と軍事衝突を起こすという予想を言い続け、その根拠を論じてきたが、半年後に日程が迫った今でも、特にそれを修正する必要性を覚えない。不思議なのは、巷の空間に戦争が始まるという危機感がないことだ。あれほど安保法の危険性を報道し、法案阻止の論陣を張った報ステやNEWS23が、最近は戦争に恐怖する気配が全くなくなった。戦争法と呼んだ安保法が成立した後、まるで平和な時代を取り戻したかのようだ。

それはマスコミだけで見られる現象や傾向ではなく、左翼リベラルの界隈全体がそうであり、妙な安堵感や満足感の空気が支配していて、戦争への危機感など微塵もなくなってしまっている。左翼リベラルが9月に言っていたところの、SEALDsのデモで民主主義が前進したとか、デモを当然に実践する本当の民主主義の国になったとか、そうした言説を錦の御旗に掲げた達成感や高揚感がずっと続いていて、「社会がよくなった」という錯覚が彼らの脳裏を支配しているからだろう。9月以降、左派メディアはずっとこの刷り込みを続け、SEALDsを神格的なアイドルにして宣伝し続け、TBS報道特集でも、AERAでも、SEALDs運動絶賛のプロパガンダで埋め続けている。その一方で、安倍政権の支持率は上がり続け、50%近い高支持率が来年参院選の前提条件になろうとしている。そのことについての左翼リベラル側の危機感は全く見られない。今週号(年末年始号)のAERAが、「民主主義を取り戻す」という特集を組んでいて、高橋源一郎と坂本龍一の対談が載っていた。夏と同じ口調でSEALDsをべた褒めしている。40年ぶりの学生の政治運動だと言って絶賛している。同じ軽薄な賛美のフレーズばかり繰り返している。本当に、単純化されたワンフレーズの押し込みと刷り込みだ。ファシズムそのものだ。大阪W選で負けたことなど一行も触れてない。

AERAの特集の最初の頁に、編集部がこう書いている。「民主主義って何だろう。戦後日本の歩みの中で、この根源的な問いが、これほど多くの人々の口から発せられた年があっただろうか。(略)戦後民主主義はうまく働かなくなっている。(略)さびついた日本の民主主義を、アップデートするにはどうすればいいのか。一緒に考え続けませんか」(P.10-11)。この口上は、夏以降、朝日や毎日や東京新聞がずっと言ってきたものと同じだ。SEALDs主義に帰依する定番言説。二つのことを反論として言いたい。まず、それでは、「民主主義とは何か」についてSEALDsはどう説明したかという点だ。SEALDs運動の民主主義論とは何なのか、それについて自明な定義はあるのか、マニフェストやステイトメントはあるのか。SEALDsを美化し絶賛している者たちは、「SEALDsの民主主義」について理性的に認識した上で共感しているのか、「SEALDsの民主主義」を自分の言葉で他人に説得できるのか。SEALDsがどんな画期的な民主主義論を唱えたのか、この国の市民を啓発し覚醒させたのか、私には全く記憶がない。SEALDsの学生が、民主主義についてマスコミで語ったのを聞いた覚えがなく、SEALDsの民主主義論とはこうだと誰かが解説したのを聞いた覚えがない。「民主主義ってなんだあ」というのは、デモの単なるフレーズだった。念仏の唱和だった。そこには思考や考察はなく、言葉は何もなかった。

SEALDsが、明示的に民主主義の概念を整理したこともなければ、従来とは異なる民主主義の新しい理念を措定したこともない。「SEALDsの民主主義」は未だに不明で未知の問題だ。不明で曖昧なのに、AERAや朝日などの左派メディアは、恰もSEALDsが民主主義の概念を再生したように言い、その理論的試みが人々に受け入れられたように言っている。まさに「裸の王様」が歩いていて、沿道の人々が王様の衣装は華麗で眩いと讃えているのと同じだ。面妖な宗教のブームとしか言いようがない。選挙では政治は変えられないが、デモで政治を変えられるのだと、そう3年前の官邸前のときに言ったのは小熊英二だった。その言説を基本的にSEALDs運動は引き摺り、ときにその言説の端くれを「SEALDsの民主主義」のように見せたりもするが、実際にはSEALDsはそうした民主主義の方法論を言挙げすることもなく、安保法が通ったら、すぐさま選挙運動に切り換えて、方法論は何でもありになってしまった。「SEALDsの民主主義」とは一体何なのだ。それに関連して二つ目の問題だが、この中にあるような、戦後民主主義に対するネガティブな見方も、SEALDs運動を担ってきた者たちの思想的な特徴として看過できない。小熊英二と高橋源一郎に共通する考え方であり、簡単に言えば、全共闘の思想に対する内在と郷愁である。日本のマスコミや出版社には、今でも吉本隆明のシンパが多くいて、彼らが脱構築主義の種を撒いている。

すなわち、戦後民主主義に対する左からの罵倒と貶下を飽きずにやっていて、事あるごとに戦後民主主義を卑しめる主張をマスコミや論壇で吐きつけている。三つ子の魂百までだ。今回、小熊英二と高橋源一郎がSEALDs運動を仕切ったことで、SEALDs運動は全共闘運動の生まれ変わりという話になり、全共闘の表象がクレンジングされるという思想的事態となった。AERAの編集部は、まるで脱構築主義に洗脳されたサティアンそのものだ。こうした現場の思考からは、安倍晋三の支持率が上がっているとか、参院選で安倍自民が圧勝するとか、南シナ海で自衛隊が中国と軍事衝突を起こすかもしれないとか、危機的現実への憂慮は全く意識に上らず、日本の民主主義が燦然と輝き、45年前に全共闘が夢見た地平へと飛躍しつつあるように見えるのだ。彼らが、敗北感や挫折感の中になく、ひたすら勝利感と充実感の中にあるのはなぜだろうか。それは、ビジネスで成功しているからである。SEALDs運動でカネが回っているからだ。SEALDsが売れ筋商品であり、SEALDsを持ち上げて金儲けができているからである。テレビで売ってヒットした。テレビタレントとして大型の商品にした。売れっ子お笑い芸人のように、あと1年か2年、ひよっとして5年、売れる素材にすることに成功した。SEALDsの市場を作ることができた。「デモ=民主主義」の布教に成功した。だから、彼らには勝利感と達成感があるのだ。

ここ数年、左翼リベラルの業界化という問題を強く考えてしまう。昔は、これほど業界ヒエラルヒー的な実体はなかった。こんなに空虚な世界ではなかった。知識人がいた。知識人の青垣山脈が十重二十重にあり、高い峰々がはるか遠方にまで連なり、どの知識人も個性と重い言葉を持っていた。分厚い文化性と思想性があった。共鳴を呼び覚まさせずにはおかない知識人の精神の鼓動があった。今、日比谷の野音集会に登壇する業界ヒエラルヒーの定番メンバーは、何とも貧相で言葉が軽い。仕切る顔ぶれはいつも同じで、佐高信、落合恵子、坂本龍一、香山リカ、雨宮処凛、神田香織とかが出てくる。その退屈で軽薄で無内容な挨拶を、70歳代のおばちゃんたちが嬉しそうに拍手して歓呼している。常連の絵。今の左翼リベラル業界の堕落は、まさに、最近、辺見庸が週刊金曜日の社長を批判していた事件の中にある。左翼リベラルの業界と市場。その資本主義の原資は、70歳以上の退職した教員とか公務員たちの(日教組・自治労)、今のこの国では相対的に安定した部類の高齢者の経済生活にある。左の高齢者たちは、この30年間、他の日本人が右に転向した中で転向しなかった立派な人々で、平和と民主主義の運動を何とか若い人たちに守り繋いでもらいたいとする動機の人たちである。そのため、登壇する者たちがどれほど粗悪で、過去の知識人と較べて見る影のない軽量の者たちでも、政治のフレーズに間違いがなければそれでいい。容認できるのだ。彼らは、消費する商品を業界から提供されている。

軽量化は、遂におばちゃんたちの孫の年齢にまで達し、木偶人形のSEALDsが神輿として登場するに至った。孫をかわいがるように、ペットを愛玩するように、高齢者たちはSEALDsをかわいがっている。理念的なもの、倫理的なもの、精神的なもの、理論的なものが失われ、崩れ、左翼リベラルの世界も、もっぱら立場と感情と消費だけの、金銭欲得のビジネスの論理が支配するようになった。週刊金曜日としばき隊カンパニーは左の電通のようでもあり、芸能プロダクションのようでもある。SEALDsはReDEMOSを立ち上げて、SEALDsのブランドでカネが回る仕組みを整えた。シンクタンクを作るなど、夏の法案阻止運動の頃は言ってなかったことだ。本当なら、卒業して社会の荒波に揉まれるところを、また、学生が政治運動してマスコミに出張ったツケ(責任)を払わされるところを、巧く回避するビジネスシステムを作って逃げた。最初から考えていたのだろうか。あざとい。思えば、湯浅誠が同じだった。若い期待の星として登場し、マスコミと論壇で神様の存在となり、そして、人を騙して自分だけが出世して逃げた。われわれはババを掴まされた。反貧困ネットワークが消え、今はSEALDs(しばき隊)の大ブーム。私にはどちらも同じに見える。これが政治の世界の当然で、騙された方が悪いのだろうか。人を騙すのが政治だろうか。あざとすぎる。

悔しかったらおまえも路上に出て人を騙してみろと言い、人を騙すこともできない奴が人の足を引っ張るなと、しばき隊は私を挑発するのだけれど。
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テーマ:今日の独り言 - ジャンル:写真

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